僕の母校、明治大学は太平洋戦争時、学業半ばにして入隊した先輩は約3800名。先輩方を想うたびに他国のために戦争が出来る国にしてはならないと確信します。

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太平洋戦争時、学業半ばにして入隊した明治大学生は約3800名と言われています。学徒出陣戦没者を慰霊する「忠魂殿」は戦時中、駿河台の旧図書館に安置されていましたが、戦後は大学内に設置されることなく保管されてきました。
この事情を知った新潟県出身の校友・故師尾源蔵氏の熱心な働きかけで、1950年に新潟県護国神社に送られ”仮安置”してきました。
そして、約50年を経て新潟県関係者の努力、そして明治大学から建立資金・備品の全てを負担していただき、神社本殿隣りに「明治大学戦没学徒忠霊殿」が建立されることとなりました。
2006年10月9日、完成を祝うため大学役員・校友会役員・新潟県支部関係者らが出席し、同所において”竣工祭”が行われました。
また、2008年10月27日には「明治大学戦没学徒霊璽簿232名(祭神名簿)」の奉納式と「明治大学戦没学徒忠霊殿設立趣意書」が刻まれた石碑の除幕式が同所において行われました。
以降、新潟県支部・新潟地域支部が主体となって、毎年7月10日に大学・校友会関係者に出席いただき”慰霊祭”を行っています。