雑学大典 -8ページ目

トーストの茶色は焦げではないのか

ふと気づくと、ウィキペディアに「トースト」という項目がある。いろんな項目があるなーと思いつつ見てみました。

 トーストは、食パンを加熱し、表面を焦がしたものである。
 このとき表面が茶褐色になるのは、メイラード反応による
 ものである。トーストは朝食で食べられることが多い。

まて。
なんだ。その「メイラード反応」というのは。

 メイラード反応(メイラードはんのう、Maillard
 reaction)とは、還元糖とアミノ化合物(アミノ酸、
 ペプチド及び蛋白質)を加熱したときなどに見られる、褐色物質
 (メラノイジン)を生み出す反応のこと。褐変反応
 (browning reaction)とも呼ばれる。
 アミノカルボニル反応の一種であり、褐色物質を生成する
 代表的な非酵素的反応である。メイラード反応という呼称は、
 20世紀にルイス・メイラードがこの反応の詳細な研究を
 行ったことから名付けられた。

パンをトーストして茶色くなるのって、てっきり「少しこげている」んだと思っていたんですけど、どうも焦げる(炭化)とは別の反応のようで……知らなかった。

パテって何?

僕が料理音痴なだけかも知れませんが、「パテ」って何なのかと思ったわけです。ちょっと気取った洋食で、パンに塗ったりするやつですが、どうも原料が良く分からない。ああいうものがそこいらを歩いていたり、地面から生えてきたりするとは思われない。何かをペースト状にしたものだろうけれど、完璧にすりつぶされていて原形がわかりません。
で、ウィキってみたところ、

 パテ(pate) - 肉やフォアグラ、魚介類をすりつぶし調味したもの。
 パイに詰めたりスプレッドとして食べる。

もとはタンパク質ですか。主にフォアグラなのかな。だから食べつけている何物にも似つかない、独特の脂肪とも蛋白ともつかない、ある種生臭いけれど魚でもない、不思議なものが出来る、と。
いや、嫌いじゃないんですが、とにかく食べつけないもんで、正体不明と思ったわけです。

あ、もうひとつオマケ。

 スプレッド (Spread) はパン・クラッカーなどに塗る
 「塗り物」のこと。動詞としては「広げる」という意味になる。

今度食べる機会があったら、ツウを装って言ってみます。
「お、このスプレッドはうまいね」
うむ、カッコイイに違いない!(勘違い)

歌舞伎、なぜナシか

わたくし、寡聞にして存じていなかったのですが、演劇界、とくに歌舞伎の世界のことを「梨園」と呼ぶそうですね。少し古い言いまわし、ある種の雅語ではあるようですが。
なんでナシが演劇なのか、当然、気になります。

 「梨園」
 演劇界、劇壇の意。中国、唐の玄宗(げんそう)皇帝は音楽を
 愛好して、宮廷の楽人の子弟300人を梨園に集めて自ら教えた。
 これを梨園の弟子(ていし)という。宮廷内の梨(なし)を
 植えた庭に教楽府が置かれたのは714年(開元2)ごろの
 ことであるが、後世演劇の始祖神に祀(まつ)られる玄宗に
 ちなむこの「梨園」ということばは、やがて劇壇全体を
 称するものとなる。わが国にも伝わって江戸時代には
 主として歌舞伎(かぶき)界をいう雅称となり、昭和の初期
 までよく用いられていた。(傳田 章)

というわけで、玄宗皇帝の故事に因む言葉らしいです。玄宗皇帝と言うと楊貴妃との愛に溺れて政治を乱した話ばかりが有名ですが、元来は明君と言われた人ですし、こうして文化にも理解があったのですね。

直木賞は誰を記念しているのか

芥川賞は明らかですよね。芥川龍之介を記念している。
しかし、直木賞。それは誰を記念しているのか。
松尾直樹を記念しているわけではない事は確かだ。
(と笑えないボケを。記念されるって、故人っぽい……)

え、ええと、それで、ウィキペディアで調べました。

 直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)は、
 大衆文学の新人に与えられる文学賞。通称は直木賞。
 文藝春秋社の菊池寛が、友人の直木三十五を記念して、
 1935年(昭和10年)に芥川賞とともに創設し、
 以降年2回発表される。

というわけで、「直木三十五」という人を記念している。
……誰だそれ? なわけです。
ふたたび、ウィキろう。

 直木 三十五(なおき さんじゅうご、1891年(明治24年)
 2月12日 - 1934年(昭和9年)2月24日)は、
 日本の小説家。現在、エンターテインメント系の新人の
 作品に与えられる直木賞は、彼に由来する。
 大阪市南区内安堂寺町二丁目生まれ。

戦前の人ですね。

 父の反対を押して早稲田大学英文科予科を経て
 早稲田大学高等師範部英語科へ進学したが、
 月謝未納で除籍。しかし、登校はし続け、
 卒業記念写真の撮影にも参加している。

ほ、ほほう……?

 1929年、『由比根元大殺記』で大衆作家として認められた。
 時代小説を多く執筆し、『黄門廻国記』は月形龍之介の
 主演した映画『水戸黄門』の原作にもなった。亡くなった
 翌年の1935年、文藝春秋社長・菊池寛によりかれを
 偲んで直木賞が設置された。
 忌日の2月24日は、代表作『南国太平記』に因んで
 「南国忌」という。

映画『水戸黄門』の原作者とありますが、水戸黄門が諸国漫遊する話は江戸時代からあるわけで、決して現在の「日本人なら誰でも水戸黄門を知っている」的な状況を彼が作ったというわけではありません。あしからず。

 本名は、植村宗一という。「直木」は「植」の字を分解
 したもので、「三十五」は年齢を元にしたものである。
 31歳のときに直木三十一の筆名で『時事新報』に
 月評を書いたのが文筆活動の始まりで、以降誕生日
 を迎えるごとに「三十二」、「三十三」と名前を変えていた。

ななな、なにぃ?
人を食ったような話であります。なんか楽しいぞこいつ。

 34歳の誕生日を迎えた時、本人は「直木三十四」と書いた
 のに、編集者が勘違いから「直木三十五」と書き直して
 しまった。しかし、当の「直木三十四」はそれを訂正する
 ことはせず、それ以降、直木三十五から名を改めることは
 なかった。理由は「三十六計逃げるに如かず」と茶化される
 のが嫌だったからだという。
 亡くなった時の年齢は43歳であった

なんなんだこのやる気のなさは。
激しく脱力系だ。時は軍国主義へまっしぐらですよ??

 大阪に直木三十五記念館がある。

この記念館に、彼の文学碑が建っているんですが、
「芸術は短く 貧乏は長し」
もう、何をか言わんや、であります。

あ、文学館の記述には、こうもありますよ。

 本人の記す所によりますと、「三十三で留めておいたが、
 三三と重なるのは姓名判断上極悪であるという。
 なるほど余り貧乏が長過ぎる。素人考えから云っても
 「味噌蔵」だの「散々」だのと通じては縁起でもない。
 これを「みとみ」と読んで「粋な名だんな」という仲居があるに
 至っては到底女との苦労断てる暇はあるまいと思われる。
 一躍四を抜いて三十五になる所以である。」

「到底女との苦労断てる暇はあるまいと思われる」名台詞だ。

咳・くしゃみのマナー

不定期更新ですが、へぇ、と思ったので。

さる雑誌の記者が書いている事で、オランダ、イギリスの学校の話だそうですが、「咳・くしゃみは病原体をまき散らす行為だから、ハンカチで口元を覆ってしなさい」と、かなりしっかりとしつけられるとか。スヌーピーの漫画にも、「ハンカチが無くてくしゃみが出来ない」と慌てるシーンがあるとか。

私は喉が商売道具で、しかも風邪をひいたらたちどころに収入が消えてなくなるので、風邪対策は真剣です。が、一方でハンカチは常備していないなぁ。だいたい手で口元を覆いますが、それでは手についた病原体を手すりなどに残してしまう危険があるからNGとのこと。

このマナーは、身につけたい、広げたい。

世の中いろいろ起きています。

某氏の書いているウェブコラムで

「原子力関連企業の後押しを受ける(アメリカの)民主党」

という表現を見かけたのですが。
アメリカの民主党って原子力企業と仲がいいのでしょうか?
有名な話でしょうか?
いったいいつ頃から?

気になるのは、ゴア氏が「不都合な真実」を出した
前か、後か、という事ですが。
前、なのかなぁ、という感じです。

「共和党=石油 v.s. 民主党=原子力」

と、単純化すればそういう事なんでしょうか。


もうひとつ。
ユニクロがバーニーズの買収を断念したそうで。
あれ? 一度バーニーズから「ユニクロに買ってもらいます」って宣言していなかったっけ? と。
しかも、ニューヨークへの出店はあまりうまく行っていないそうで。超売れっ子デザイナーの佐藤可士和を使って「クールジャパン」よろしくカタカナのロゴを採用したり、かなり頑張っていたのに。
そしてユニクロと言えば、労働条件見直しと女性雇用促進と非正規雇用の正社員採用!
経営的にも社会的にもデザイン的にも最強のイケイケ状態かと思っていたのに。
あれれ? あれれ?

ふーむ。難しいですね。

樋口一葉の評価と苦労

先日ウィキペディアで調べたんですが、樋口一葉って、25歳で死んでるんですねぇ。
夭逝したとは知っていましたが。

今の僕と、同い齢なんですねぇ……

自身の作品の価値のみならず、近代最初の女流文学者として、平塚らいてうや与謝野晶子の先達としても高く評価されています。が、一方で自身の士族としての出自に誇りを持ち労働者を蔑視するなど、階級意識に問題があったとも言います。それが原因か、家業は展型的な「士族の商法」でうまくいかなかったのだ、とか。頭を下げることは、大切なことです。才能や頭の良さだけでは、幸せにはなれない。

その一葉、貧苦で夭逝したと言うけれど、貧しくて死ぬとは、一体どんな具合なのか。
どうやら、ある日体調が急変し、死因は肺結核とされているようです。人が貧困で死ぬというとき、やはり貧困のみで、ひからびるように死ぬのではなく、病にとらわれて死ぬことが多いのでしょうね。ロマン派の詩人、キーツがそうでした。
いずれにしても悲惨なことです。現代でも珍らしいことではないと思うのですが、そんなことが起きない社会にしたいものです。

コルビュジェの勉強

先日、森美術館で開催中のコルビュジェ展を見てきました。

 ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡

コルビュジェというのは人名で、有名な建築家です。ただ、いくらかは知っていたのですが、あまり真面目にこの人について調べたりしたことはありませんでした。実は今回の展覧会のチケットを見るまで、「コルビジェ」と発音していたのですが、「ビ」じゃなくて「ビュ」なんですね。
で、せっかくだから詳しく調べてみようと。

 「ル・コルビュジエ(Le Corbusier)」
 (1887—1965)スイス出身のフランスの建築家、画家。
 本名はジャンヌレCharles Edouard Janneretで、
 10月16日ラ・ショー・ド・フォンに生まれる。
 (中略)
 1917年からパリに定住し、20年代から本格的に
 活動を開始する。

「ラ・ショー・ド・フォン」というのはスイスだそうです。スイス生まれ、フランスで活躍した人です。パリに定住した1917年は第一次大戦の末期。生まれたのが1887だから、本格的な活動は30代になってからです。

 同地の美術学校に学んだのち、ペレやベーレンスの
 事務所で短期間働いたが、建築はほとんど独学。

昔はこういう人が多かった。

 まず画家オザンファンと『エスプリ・ヌーボー』誌により
 ピューリスム(純粋主義)の運動を主張、旺盛な執筆活動の
 かたわら、絵画ではキュビスム風の静物画に基づき、
 さらに形と色の整頓された作品を描いている。

そうそう。今回の展覧会では、かれが描いた絵画も重視されているんです。建築家として有名ですが、最初の活動は画家・評論家としてだったんですね。

 実作は住宅が中心で、エスプリ・ヌーボー館(1925)、
 シュトゥットガルト住宅博覧会の家(1927)、
 ガルシェのシュタイン邸(1929)、
 ポワッシーのビラ・サボワ(1928~31)などが知られる。
 このうちビラ・サボワは、端正な白亜の幾何学的形態のなか
 に、いわゆる近代建築の五原則(ピロティ、独立骨組、
 自由な平面、自由な立面、屋上庭園)を織り込んだもので、
 初期のコルビュジエを結論づける作品となった。

大規模建築はなかなか受け容れられませんでした。そもそもコンクリートの箱が人間の住まいだなんて、とうてい考えられない、という人がまだまだ多かった時代です。

 1927年、ジュネーブの国際連盟会館の競技設計で、彼の
 応募作が最終段階で審査員団に拒否されたことを契機に、
 近代主義の組織化の必要を痛感し、翌年CIAM(シアム)
 (近代建築国際会議)の結成を主宰し、以後この組織の
 事実上の推進者となった。
 (中略)
 この時期はCIAMを舞台にした都市計画の提案に
 多くの労力を割いた。

でも、けっきょくそんなに勢力を得るには至らなかったのではないだろうか? 建築は規模が大きいですから、おかねを出すクライアントが受け容れなければ、建築家がどんなに才能と情熱を注いで計画を立てても、実現しませんからね。彼の大規模建築は、実現を見なかったものが多いです。
いや、彼が特に大規模建築のコンペティションに負けることが多かったのではなく、建築家たる者、だれでも没になった案くらいたくさん抱えていて当たり前なのか。

 第二次世界大戦後は、国連の会議事務施設のための企画と
 基本設計に始まり、マルセイユのアパート「ユニテ・
 タビタシオン」(1947~52)、奔放な彫刻的形態のある
 ロンシャンのノートル・ダム・デュ・オー礼拝堂(1953~
 55)のほか、リヨン近郊のラ・トゥーレット修道院(1957)
 東京の国立西洋美術館(1959)などを残した。また、
 インドのチャンディガルの都市計画にも意欲を示し、
 最高裁判所(1950~56)などの庁舎建築を設計している。

国立西洋美術館がコルビュジェの作品だと言うことを私は知らなかった! インドの最高裁判所は、展覧会場で上映されていたDVDに映っていましたが、色彩がものすごく大胆で驚きました。でもインド女性のサリーの色彩の大胆さも負けていない。

 65年8月27日、南フランスのロクブリュヌ・カブ・
 マルタンで没。
 彼は生涯を通じて近代合理主義を推進しながらも、
 その基調にはギリシア以来の古典主義美学へ対する優れた
 感覚があり、これを同調させて鉄筋コンクリート建築の
 新しい局面を切り開いた。この意味でも、近代建築における
 巨匠としての位置づけがなされているのである。

ギリシャ彫刻などに見られる黄金比を部屋の寸法決めに応用したりしています。今回の記述、高見堅志郎先生。

なお、HREF="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%B8%E3%82%A7" TARGET="_blank">ウィキペディアには「フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもある。)。」との記述がありました。
この三人もいずれ調べてみようかしら。

重さの単位「lb」とは?

メリケン帰りの兄が食材を買ってきた。で、早速調理されているわけですが、説明書きに「1lbの食材を……」と書いてある。「lb」というのが単位らしいんですけど、そりゃ何かと。

結論を言うと、「1lb」で「1ポンド」と読むんだそうですね。あんまり知らなかった。で、ウィキペディアにはこう記述されています。

 「ポンドー起源」
 歴史的には、メソポタミア地方で大麦1粒の重さを元にグレーン
 が定められ、その倍量単位としてポンドが定められた。古代
 ローマではこの単位を「リブラ(libra)」(天秤の意味)と
 呼んでおり、これがポンドを表す記号"lb"の由来である。
 また、通貨の単位のポンドの略号"£"もlibraに由来する。
 「○リブラの重さ」を"○ libra pondo"と言い、
 この"pondo"が質量の単位となった。

libraの略なのですね。
なお、「同じ「ポンド」という名称で、少くとも4種類の異なる質量の単位がある。」ということで、なんとなく混乱を引き起こしそうな感じです。

森美術館・コルビュジェ展

仕事の合間を縫って、六本木ヒルズは森美術館にて開催中の展覧会を見てきました。

ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡

コルビュジェというのは、こんど記事にしようと思っていますが、有名な建築家です。
面白かったですよ! 彼が設計した建物が三つも、内装が原寸大で再現されているんです。ユニテダビタシオン(労働者向けに建設されたマンション)を内覧できます。ベッドルームを見たら、おむつ交換台があったりして、あ、若い夫婦向けなんだなぁと。

場内の至る所で上映されていたDVDは、環境CDみたいで、見ていて気持ちがよかったです。

ル・コルビュジェ DVD-BOX

¥11,583
Amazon.co.jp

でも、一万円ですか……これを買うなら、そのお金を貯めてコルビュジェがデザインしたソファーを買いたいかも。

コルビュジェ1Pソファー(黒)TS0063AA

¥68,800
プライムヒルズ

これも場内にあったのですが、座り心地が良いんだわ。
ちなみに場内で購入すると、ひとつ50万円でした(苦笑)