木ノ下歌舞伎『三人吉三』幕 | 歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

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俳優、ダンサー、歌舞伎ライター関亜弓による大衆向日記です。

春、関東でのオーディション、WS、稽古、そして京都での本番。

夏が終わるのと同時くらいに、木ノ下歌舞伎『三人吉三』の
幕となりました。



本番の二日間はバスで40分くらいかかる劇場を歩いて行った。
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                              ↑withコメダ

なんだろう自分に負荷をかけたかったから。ではなく
たぶん川があるからだ。

本番2回は本当にジェットコースターだった。それはあっという間という意味だけでなく、
あがるときのゴゴゴゴゴゴ、のあの瞬間を味わったからだ。今でも鮮明に覚えている。

そして気づいたら4回のカーテンコールを客席で体感していた。

このために、いるんだなと思った。

今回の『三人吉三』に取り組むとき強く思ったのは、
「黙阿弥が描きたかったであろう三人吉三」を掘り起こすことが
とても重要な気がしていた。

現行の歌舞伎ではカットされる部分の上演は決まっていたし、七五調や様式美で
片付けられない部分こそが、黙阿弥が伝えたかったことなんじゃないかという、
レクチャーでの先生の話からもそう思った。
それが木ノ下歌舞伎版『三人吉三』のキーになると思って解説をかいたりした。

話はそれるが私はこの数年間で、『三人吉三』の作品感が劇的に変化している。

舞台でみたときの「歌舞伎作品としての完全さ」
学習院歌舞伎の100回記念公演でお嬢吉三を務めたときの、
「女が女形になって女装する男を演じる」絶望的な難しさ
拵えをして衣裳をつけ、舞台にたって
「月も朧に」の台詞を発したとき体感した「圧倒的な歌舞伎の魔力」

でもそれはいずれも「大川端の場」だけであって、それは
『三人吉三』をどうみたかとはいえない。

その意味では今回はじめてしっかりと、この作品に向き合った気がする。


もう一つ変化したことといえば私はずっと、黙阿弥はこの作品を
「嘲笑」しながらかいていたのではないかと思っていた。
三人の吉三郎が義兄弟の契りを結ぶときも、因果や時代ゆえの
逃れられない力を、逃げも隠れもしないけど立ち向かいもしない、
「どうせ」と嘲笑している感じ。

が、
稽古場でくにお氏、先生、俳優陣との創作を共にし、
春秋座で立ち上がった作品をみて

それはどんどん変わった。

黙阿弥が幕末と明治という二つの時代を生きたこと、動乱の時代で
失った人、もの、こと、でもその先にある希望みたいなもの。
それが十二分に注がれている作品ではないだろうか。

最終的には
「黙阿弥にみせたい作品」
もっというと
「黙阿弥がみたかった作品」
になったんじゃないかと思った。手前味噌ながら。

本番前日に舞台におこったおかしなことも含め、
きっと黙阿弥はみてた気がする。

夢の中に小團治は出てくるけど黙阿弥はまだ出てこないので
もし会えたら感想ききたいです。



えっと、あついものがこみあげてきたのでこの辺でドロンします。

あまり写真は撮らなかったのですが、数枚貼り付けます。



ゲネ前の木ノ下先生。京都造形芸術大学からの差し入れの
「ふたば」の大福とともに!
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ホテルのモーニングは毎日コメダでした。
ある日の朝ごはん。気合。
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私の滞在していた部屋にかかっていた絵。
縁しか感じない。


今回、立師お願いし、快く引き受けてくれた
澤村國矢さん!

思い起こせばこのブログをかいてたとき
こんな形で関われるなんて思ってもいなかっただろうなぁ。
偶然にも三人吉三だったし。
(このときから國矢さんのイケメンさについてかいてる笑)

一挙手一投足、学ばせていただきました。
本当にありがとうございました。



こちらはスパイラルのロビーにて。
なんかのユニットっぽい(笑)

稽古の間に本番を迎えた『三番叟』。

木ノ下歌舞伎のマスターピースにいろいろ救われました。


そして初日前の二人。いい顔してるなぁ。
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この場にいられる幸せと責任をかみしめ、また次の一歩を踏み出します。
ありがとうございました。