襲命 | 歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

俳優、ダンサー、歌舞伎ライター関亜弓による大衆向日記です。

勘三郎さんの訃報を知り、愕然とした。
歌舞伎界を変えた人、これからも変えていくはずの人。
悔やまれてならない。

私は一方的に客席で拝見するのみでお会いしたことはないが、
勘三郎さんを慕う人にそのお人柄を伺ったりする機会はよくあった。

「野崎村」は、昔、子供歌舞伎で右之助師匠がお染、勘三郎さんがお光を
務めたということもあり、国劇部での稽古中にも
「のりちゃん(勘三郎さんのご本名から)が」というようなお話を伺ったりした。

中村屋の部屋子である中村鶴松さんにインタビューさせていただいたときも、
勘三郎さんはまるで家族のように接してくれるというお話を聞いたり。

木ノ下歌舞伎で「義経千本桜」を出演者一同で初めてみたときは、
序盤に勘三郎さん扮する
茶目っ気たっぷりの相模五郎で場がどれだけ和んだことか。
初めて歌舞伎を観た俳優も、勘三郎さんをみて、「歌舞伎って意外と自由なんだな」
と思ったに違いない。

平成中村座、コクーン歌舞伎をはじめ、基礎があるからこそ
新しいことに挑戦できる。
それは芸に対しては一瞬も気を緩めず、且つ張りつめすぎない、
人としての柔らかさがある
勘三郎さんだから出来たことなんだと思う。


偶然にも、訃報絵を聞く前日に私は
「夏祭浪花鑑」のDVDを観ていた。
これは中村屋バージョンではなく、団七を海老蔵さん、
お辰をご子息の現・勘九郎さんが務めていたもの。

私は勘九郎さんの、美しく、孤独なお辰を観て
昨年演じさせていただく際、
ひたすらお手本にしていた映像の勘三郎さんが務めたお辰を
無意識に思い出し、重ねていた。


そうか。

これからも勘九郎さんを観ることで、
彼に染み込んだ勘三郎さんをも同時にみることができるんだと、
少しだけ、前向きな気持ちになれた。



襲名とは、名前を継ぐだけでなく、「襲命」、命を継ぐという
意味もあることをこれほど実感したことはない。

40年以上その名で奮闘した「勘九郎」の「名」、「命」は
繋がっている。

ニュースで勘九郎さん、七之助さんの襲名披露口上を観て
涙が出たのは悲しさからだけではなかった。