mitsoukoと会長 | 歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

俳優、ダンサー、歌舞伎ライター関亜弓による大衆向日記です。

私のトレードマークとなりつつある、
ロン毛ストレート。

「なんで長くしてるの」

と聞かれると

「短いのが似合わないんで、消去法で」

と答えます。実際そうなんで。

でも高二の秋に、そんな私の髪の毛を
惜しげもなくチョキチョキ切って、にやりとしていた
男性が世の中に一人いる。

それが現 mitsoukoのオーナーである。


当時、にわかおしゃれ人になろうと「mini」とか「olive」を読んだり
雑誌に出てくるブランドに手を出し始めたり、
高校からバスで吉祥寺に通うことにはまっていた時代。

吉祥寺店のスタイリストさんに声をかけられ、
「モデルをやらない」といわれたのがきっかけで
ヘアショーに出ることになり、その担当がこの人だった。

こう書くとすっごい怪しいけど、スカウトしてくだすった方の名刺には
おしゃれ雑誌によくでる有名サロンの名がちゃんと書いてあったし、
親と一緒に買い物している小娘をだますメリットもないだろう、と快諾。

後日、ショーの仕込みをするというので青山店に行く。
シャンプーをされドキドキと鏡の前で座っていた。
すると超強面(当時の私にとっては)の
坊主頭の男性がやってきて、よろしくとかもなく
髪をさわられ、考え込まれ、「よし」といって
周りのアシスタントさんに的確な指示を出し始めた。
そして校則のせいで髪を染められない黒髪がさらに漆黒になった。
恐るべし、オシャレ美容室。
心の中で何度もつぶやいた。


それに加え、衣裳フィッティングのときに会った他のモデルさんたちが
キラキラしすぎていて、逃げたくてたまらなかった。

でもお菓子とか食べつつ普段の自分でいたら仲良くなって、
ショー本番は楽しくてたまらなかった!

このときのミッションは

ステージで髪を立ったまま切られ→会場を一周→笑顔で帰る。

それだけだったものの、何せ自分がどの位カットされていて、
どの位個性的ヘッドになっているのかわからない。


本番のことは、照明とフラッシュが暑かったことしか覚えていない。


でもこのときからだろう。バレエ以外の舞台のうまみを知ったのは。




そしてサロンの鏡で初めて、後ろ刈り上げられる位
短い髪の自分と対面し、しばし、硬直。

・・・するものの、その時は奇抜な衣裳だったからこれもありかなと思ってた。
だけど、問題が。





制服が似合わない。




ただでさえ紺の上下に丸襟に窮屈なリボンという、
そこらの中学生よりもダサい制服に、
原宿・青山おしゃれサロンのスタイリストが考案する
ショートヘアが似合う訳がないのだ。


本気でヅラをつくる計画を立てたくらい、悩んだ。

でも、それからはそのスタイリストさんと
他のショーに出たり、サロンが出す雑誌に出して
いただいたりと、普段体験できないことが出来たから結局
悩みはどこかにとんでいたし、あんま気にしなくなった。

そして何より、あるショーの帰りの飛行機で
「自分はこれからどうしたいか」を勝手に
この人に話したことで、色々覚悟ができたことを
いまでも覚えている。

今の私の基盤となる経験ときっかけを、
破滅的に似合わない髪型と引き換えにしたと思えば
安いものである。


なぜか長々書いてしまったのは、先日3年ぶりにこのサロンに
いってきて、なんか初心にかえったというか、一応
自分は道を歩んでいることをつらつら話せたからかもしれない。

相変わらずの神がかったカット。要望を丸のみにして表してくれる。

思わず
「マジシャン?」
と聞いたら

「ううん、パーマ屋」
といわれ

「あぁ、あのくるくるまわるやつ」
と素でいったら
「それ床屋だよ!」
と素でつっこまれた。

これから毎月よろしくお願いします。

おまけコラム。

テーマ「不思議なこと」

・映画で初めて私が頂いた、名前のついた役が「美津子」だった

・なぜかこの人は、10年前から私のことを「会長」と呼ぶ