こざかしさとこまやかさ【観劇日記①】 | 歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

俳優、ダンサー、歌舞伎ライター関亜弓による大衆向日記です。

のばしのばしになってしまった【御名残四月大歌舞伎】
観劇日記つづります。

第一部はスケジュールの関係で行けず。無念。
吉右衛門さんの熊谷直実見たかったのですが、一生みれない訳ではないので次に期待。
早速響いた演目を挙げていきます。

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「第三部」歌舞伎十八番の内
助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)
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助六役者が一挙に集結し、ごちそうのオンパレード。

圧巻は玉三郎さんの揚巻。後光が・・・。
あの30キロはあるといわれる衣裳で八文字歩き。
一歩、一歩と踏み出すたびに漂う色香に酔いしれました。

歌舞伎座の舞台が狭くみえるほどの役者の
存在感と色彩に、現実を忘れさせられ、最後の最後に相応しい一幕でした。

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「第二部」菅原伝授手習鑑
寺子屋(てらこや)
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もう、仁左衛門さんの出から泣きそうで。
(そういえば歌舞伎で初めて泣いた演目が
勘三郎さんの源蔵の寺子屋だったな。)

今回の席は西側だったので、「いずれを見ても山家育ち」のときの
寺子たちの表情が良く見え、高麗蔵さん扮する
涎くり与太郎のザ・無邪気なお顔がその後の悲劇との伏線となり、
堪えきれず涙が出てきました。早いって、泣くの。

そして幸四郎さんの松王丸。駕籠から登場したとき、
やっぱり大きい役者だと実感。

でも、一番感動したのはすっごい細かいことなんですが
首実検のとき。

首桶を開け「秀才様の首だ」と言い切る松王丸。

今まで気づかなかったのですが、松王が首桶を戻すとき。
幸四郎さんは、本当に丁寧に、いとおしそうに蓋をしていたのです。

首桶を開けるときは、まだ我が子の首だと信じない気持ちが
どこかにあったのかもしれない。だから意識はないけど、
開けて息子の首だと確証してしまった。正気でいられるはずがありません。
でもすべては恩のある菅宰相様のため。ここで気持ちを押し殺さないと
すべての計画が台無しになってしまいます。

その心の葛藤が「首桶を戻す」という一瞬の動作に
表れていたような気がします。
深読みかもしれないけど、私にはそう見えて
芝居ってこういうことなのか。
役になる。とはこういうことなのかと考えさせられました。



小賢しい芝居はうるさく感じるけど、
細やかな芝居は人の心を打つ。

この微妙な差が難しい。