市政レポート10月号「vol:65」発行:自民党横浜市会議員団  編集: 関勝則
 磯子区中原2-1-20 ビラ中原102号 ℡045‐770-5602
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$市政レポート
久良岐公園は、汐見台団地の造成に会わせ1973(昭和48)年に開園、自然の景観を活かした散策コース、春にはお花見で賑わう300本の桜が咲き誇る桜の森、自由広場でスポーツや能舞台での文化活動など、
磯子区民には親しみのある公園です。
開園後36年を経過し施設の老朽化など、市民の要望による公園再整備が決定し9月より着工、その概要を報告いたします

整備概要
① 南エリア 平成23年9月~24年10月 
  ※自由広場(野球グラウンド)のある南側
  工事内容 公園入り口、園路、散策路、階段手すりの新設や舗装改修、

  園内施設(バックネット・遊具 ・照明灯・ベンチ・芝生張り替え)給排水・電気設備の改修
※ 工事期間中は自由広場は利用停止となります。

     お問い合わせは831-8484(南部公園管理事務所
② 中央エリア 平成25年~26年(予定) ※南部エリアと能楽堂を除いた中央部
※ なお、要望の多いドッグランは、新杉田公園に設置が決定し、久良岐には整備されません。


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公園にある横浜市電・・・地域の力で修復へ

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横浜市電は明治37年~昭和47年まで、市民の足として活躍していました。現存する1156号(昭和27年製)は久良岐公園のみですが、錆び付きペンキが剥がれ、このままでは廃棄処分になる運命でしたが、保存に向けて地域企業の社長さんから私に無償修理の申し出があり、早速、市と連携して頂くことになりました。まさに、地域の力で修復されるのですから、完成後には市民参加による日常の保守や継続的な維持管理が重要と考えます。
再整備には「広域避難所としての機能」の充実を!

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再整備化にあたっては、日頃から私の元へ地域の方々からの要望が多く寄せられており、そうした声を環境創造局と区役所に度々届けてまいりました。
特に地域の皆様からは「久良岐は広域避難所に指定されているが、
入り口が3カ所しか無く長い階段など障害者や高齢者のことを考えた避難場所として造られていない」と言う指摘が多く寄せられてきました。
この入り口の件で、私が調査したところ、公園の外周部はほとんどが
県有地で現状では市独自の改修工事は出来ません。この件については、
横浜市も県に要望をしていますが、明快な回答を得られてないと言うことでした。

問題解決へ、私も地元市議として防災観点から進入路の改修、新設へ積極的に取り組んでまいります。
今後30年以内にマグニチュード8クラスの東海沖地震の発生率が80%という分析が発表されています。

横浜市では東日本大震災の教訓から「防災」とともに「減災」への取り組みも強化、
津波対策も全面的に全面的に見直しを進めております。

沿岸部に位置する磯子区は津波対策が重要な課題であり、高台にある久良岐公園は、津波発生時など広域避難所として機能を十分持ち合わせた公園に造り上げていくことが重要です。

私は、地域の方々と一緒に考え、市政に持ち込みカタチにしてまいります。
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極彩色の観音堂で知られる、磯子弁財天を祀るお寺

鎌倉時代に開創された磯子の名刹「金蔵院」
                     (磯子4-3-6)

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間坂の信号を左折して旧道へ、右折してしばらく進むと金蔵院があります。
参道の先に立派な山門が見え本堂の大屋根が見えます。正式なお寺の名称は「真言宗向山岩松寺金蔵院」。
新四国東国八十八ヵ所霊場の第四八番目札所で、市内観音三三霊場の第二三番所。そして磯子七福神では弁財天のお寺としても知られています。

鎌倉時代の三代執権、北条泰時が京都高尾の栂尾(とがのお)の明恵上人に仏学を学んだ際、薬師如来像をもらい受け、鎌倉近郊でその像を安置するのに良いところとして、磯子の禅馬川の畔に、霊運山竜錫寺を建立したのが開山と伝えられています。
その後真言宗の理空というそうが、1328年し、現在地岩松寺を
建立。竜錫寺の薬師像を迎え入れ、本尊として祀りました。由来ではこれが寺の開創と伝えられています。


山門を入ると、細かい石を敷き詰め、きれいに整えられた広い境内に・・・・その正面に落ち着いた外観の本堂があります。
左側の高台にある極彩色の美しい観音堂は、1779(安永8)年に造られた群馬妙義神社の護摩堂を譲り受け、1974(昭和49年)年に移築した物です。

堂内は元禄時代につくられた欄間や、ボタン・キク・サクラなどの十数種類の花が描かれた100枚の天井板で美しく彩られています。
境内で目についたのは2つの塚があります。一つは明治時代に杉田や中原が外国人居留地向けに西洋花の栽培で盛んだった磯子を物語るような「お花塚」、もう一つは「鮭塚」です。江戸時代から半農半漁の村だった磯子は、大正時代から底引き網漁が盛んに行われ、昭和30年代根岸湾が埋め立てられるまで続いた海苔の養殖は有名でした。

「鮭塚」は漁業のまち、磯子のなごりかもしれません。
当時屏風ヶ浦漁協の組合長を務めていた私の祖父も、この「鮭塚」に

お参りしていたと思います。

毎年11月11日は鮭の御霊を供養する「鮭供養祭り」執り行われています。

関勝則の市会日記
プロバスケットチームを磯子に迎えて
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横浜市内では、様々なスポーツの国際大会誘致に積極的に取り組んでいます。
過去にはサッカーのワールドカップ、卓球の世界選手権開催、また現在ではトライアスロン(9月開催)女子マラソン(11月20日開催)などが、毎年横浜を舞台に開催され横浜市民を楽しませてくれています。

そして市内各地域においても多くの市民の方々が、スポーツを楽しんでいます。

私も8月のに新杉田公園で行われたグランドゴルフ大会に参加し、区民の方々と一緒に汗を流しました。横浜市市民局では、国際大会誘致のほかにこうした地域の取り組みも積極的に支援し、「みるスポーツ」「するスポーツ」としての場を提供しています。
私も、子供から高齢者の方までが楽しめる生涯スポーツ施策の振興を応援してまいりました。
その中、横浜にまた一つプロチームが誕生しました。県内初のバスケットボールチーム「横浜ビー・コルセアーズ」です。そもそも横浜はバスケットボールが盛んで、ミニバスケットボール人口は全国一(220チーム)だそうです。
ホームコートを横浜文化体育館と横浜国際プールとし、bjリーグに参戦、10月8日(土)に開幕戦を迎えます。
そして先頃メインとなる練習コートがたきがしら会館に決まったことで、磯子が名実ともにプロチームのホームタウンになったわけです。
8月に同会館で行われたセレモニーでは、区内、区外から多くのミニバスケットボールチームが参加、子供達が真剣な眼差しでプロの指導を受けていました。

今後はこうした活動を通じ地域に根ざしたプロチームになって頂き、スポーツ振興に一役かっていただく事を切望します。
なでしこジャパンの活躍は、記憶に新しいこところですが、プロスポーツは
私たちに夢と感動と勇気を与えてくれます。

身近な町のプロチームとして「横浜ビー・コルセアーズ」を区民の皆さんと末永く応援していきたいと思います。
何より、市民スポーツ普及、促進に向けて。