磯子から「外国人居留地」向けに花栽培が広がった。


日本を代表するカーネーションの品種「コーラル」は磯子区中原生まれ
笹下釜利谷道路の栗木に「温室前」というバス停があります。今は宅地化され温室はありませんが、その由来を調べてみると、バス通りを挟んで昭和10年~20年頃まで300㎡ほどの温室が2棟建っていて、山梨県出身の志村高明という方が、カーネーション、テッポウユリ、菊などを栽培していたそうです。もともと磯子区は、江戸時代から梅の名所として広く知られていました。横浜港開港後に外国人居留地ができると居住する外国人から生花の需要が多くなりました。

磯子区内の花づくりは、自生したヤマユリが乱獲され減少したため、明治24年に杉田で始めたテッポウユリの栽培が最初といわれています。そして明治40年代にはフリージア、バラ、ゼラニュームなどの温室栽培が始まったそうです。中原ではチューリップなどの温室栽培行われるようになり、大正時代末には笹下方面でも温室が見られるよう
になったといわれています。

初めは外国人のために花づくりをしていましたが、日本の人たちもはじめ見る西洋花の美しさへの関心が高まってきました。昭和15年(1940)には、中原の井野喜三郎氏がカーネーションの新品種「コーラル」を開発。この花は、紅赤色の鮮やかさ、がく割れが少なく、日持ちも良いことなど、国内外で評判となり、昭和30年代には、カーネーション
の品種別作付け面積の30%を占め、昭和59年に神奈川文化賞を受けました。

中原や杉田周辺で花の栽培が盛んになったのは、西の円海山、東南の東京湾に囲まれ冬暖かく、夏は爽やかな海風が吹くという気候が花の栽培に適していたからでしょう。