街道筋の茶屋
お茶と団子で一息… 旅人たちで賑わった

街道筋の茶屋。


磯子区内には、金沢道(かねさわみち)や六浦道などの古道があり、幕末から明治の頃になると、旅人や観光客などで通行が多くなり、沿道には旅人相手の茶屋ができ大変賑わったといわれています。

茶屋とは、交通手段が徒歩しかなかった時代に街道筋にできた休憩所で、お茶や和菓子を提供し、旅人は縁台に腰をかけ一休みしたものす。

場所は宿場や峠の前後にありましたが、磯子にあった茶屋の様子を
『磯子の史話』では次のように記しています。(抜粋・要約)


①関の石川屋(休泊所「料亭」)=関村(笹下釜利谷道路にあるバス停・関の近くの東樹院そば)に「石川屋」という休泊所があり茶店も開いていました。明治3年、郡役所が設けられて以来、往来する旅人だけではなく、公用の人々の休泊所にもなって繁昌したといわれています。
明治10年には、英照皇太后(明治天皇の母)が金沢に行啓のため96人の供奉者と共にこの石川屋でご休息されました。


②郷戸坂茶屋=主人は上中里村に住む土部仁三郎氏で、母てつさんの作ったボタ餅は美味で、旅人たちは「おてつのボタ餅」と、この道を往来した折は必ず立ち寄って食べたといいます。
(跡地は笹下釜利谷道路のバス停・隋緑寺前近く)


③岩船茶屋(別名、一本杉の茶屋)=郷戸坂を登った先に岩船地蔵があり、その100mほど行った所に立枯れの一本杉がありますが、ここがもとの地蔵の地で、茶屋はそこから20mほど先の右側の畑地の所にあったといいます。


④追分の茶屋=この茶屋は釜利谷に住んでいた、こうじ屋の堀江という人が経営し、主に甘酒と串団子を売っていました。


⑤能見堂の茶屋=追分から25分ほどで能見堂跡につきます。
近くに「金沢八景根元地」の碑が建ち、ここから金沢八景を展望すると、
今は住宅地が立ち並んでいますが往年の景勝を偲ぶことができるでしょう。ここには4軒の茶屋が店を出し、あめ・菓子・寿司・団子など売っていました。また、
よく外国人が遊びにきたと言い、赤い水(ビールのこと)を飲んでいたのを見たとか…


②~⑤の茶屋跡の大部分は住宅地となっていますが、近くに氷取沢市民の森や能見堂緑地など豊かな自然が残っていますから、街道を歩んだ旅人たちに思いをはせ散策してみませんか。