氷取沢町、峰町

磯子区

内の町名・地名には、海や自然に因んだもの、また江戸時代の村名を受け継いだものが多く、その由来や沿革を知ることにより、わが故郷、磯子がより身近なものになると思い調べてみました。



「氷取沢」はその昔「火取沢」だった。【氷取沢町】

古くは久良岐郡氷取沢村といい、明治22年の市町村制施行の際、笹下村、日野村、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峯村と合併して日下村大字氷取沢となりました。


ところがこの氷取沢は、鎌倉時代には「火取沢」と呼ばれていたことが、鎌倉幕府の公的史書『吾妻鏡』の建暦3(1213)年の条に記録されています。

火取沢とは、「火の沢」という意味で、『磯子の史話』によれば、「この山あいの沢は、鎌倉時代は鍛冶場で火の沢でした。今も氷取沢あたりの土から金くそ(鉄くず)が出る所があります。この鍛冶場へ刀槍や鏃(やじり)を注文する武士が往来したのでしよう」と記されており、氷取沢は鎌倉幕府の武器製造地として発展したと考えられます。


火取沢が氷取沢になったのは、後醍醐天皇の時(1318年頃)といわれ、『新篇武蔵風土記稿』の「氷取沢」の項に次のように記されています。「往古、其山麓に傍ひ長き沢ありし。後、長澤村と唱えしと云。


村内法勝寺僧の話に、後醍醐帝の御宇、某年六月、高倉明神社の深山より氷を取りて北条高時に献ぜしかば、高時、賞味の余、今の名に改めし由を伝う」。北条氏に村人が氷を献上したことで、村の名称が「火」から「氷」とまったく正反対の言葉になったことは大変興味があります。


現在の氷取沢町は、昭和2年に横浜市編入の際、久良岐郡日下村大字氷取沢から新設した町です。

この町には、市内でも貴重な自然が残された「氷取沢市民の森」があり、大岡川の源流域で清流のせせらぎを感じたり、野鳥に親しむことができ、市民の憩いの場となっています。




郡内で最高峰の山があった。【蜂町】

古くは久良岐郡峯村といい、明治22年の市町村制施行の際、笹下村、日野村、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、氷取沢村と合併して日下村大字峯となりました。このあたりは郡内最高峰の長野山(円海山)をはじめ多くの山が連なつているので「峯」という地名になったといわれます。


『新篇武蔵風土記稿』の「峯村」の項に「此辺山多しといえども、就中、当所は高峰突兀(とつこつ=他にぬきんでて高いさま)たり。故に此村名を得るなり」と記録されています。

現在、円海山と呼ばれるこの山は、横浜3番目の高さで、山頂からは横浜港、みなとみらい地区から丹沢の山々、富士山まで一望でき文字通り最高のビューポイントです。


現在の峰町は、昭和2年の横浜市編入の際、久良岐郡日下村大字峯から新設した町です。