磯子区内の町名・地名には、海や自然に因んだもの、また江戸時代の村名を受け継いだものが多く、その由来や沿革を知ることにより、わが故郷、磯子がより身近なものになると思い調べてみました。今回は「森」です。


古代から「森」と云っていた。
森町の歴史をさかのぼると、森という地名は古くは森郷と唱えられており、これが江戸時代前期(1644年、正保の頃)に分村して、久良岐郡森公田(くでん)、森雑色村、森中原村になったといわれています。森の由来について、『新篇武蔵風土記稿』の「森公田村」に「此邊は山麓に村落をなし、樹木特に繁茂せるをもて起こりし名なり云」とありますが、さらに『屏風浦物語』を調べると、「もりの歴史研究会」の金子光男さんが、「モリ」に関わる諸説を次のように挙げています。


古代語では、①、土地の小高い所、②、神の祭ってある所、③、船霊(ふなだま)を祭って置く所、など。朝鮮語では、山=MORI ムレ(群れ)あるいはモロ()。アイヌ語では、良い入り江とか、中央の森の前面にある入り江。マレー半島では、MERI。ウラル、アルタイ語ではMURU、サモエード=MORIなど。語源から想像すると、いにしえより様々な人の往来があったことが伺えます。現在森町の近辺に遺跡や貝塚があるのをみても、縄文時代から緑豊かな森の台地に住み、海の幸、山の幸を得て暮らしていたのではないでしょうか。


明治8年、森公田村と森雑色村は合併、森村と改称し、明治22年の市町村制施行の際、磯子村、滝頭村、岡村、森中原村、杉田村と合併し、屏風浦村大字森となり、昭和2年に横浜市に編入し、旧村名を採って森町となりました。昭和46年の住居表示施行にともない、森町、中原町、田中町、港南区笹下町の一部から、森1~6丁目を新設、また森町の一部から森が丘1~2丁目(旧町名に「丘」を付けた)が新設されました。新森町は、昭和38年、森町地先の埋立てにともない新設された町で、森町の海側に隣接することから「新森町」と名付けられました。