磯子のあゆみ~その7

50年の歴史に幕」思い出いっぱい横浜プリンスホテル
~宮家跡の「貴賓館」は横浜市
歴史的建造物として認定~

磯子の高台に白亜を描いてそびえ立っていた横浜プリンスホテルが閉館したのは平成18630日-早くも一年有余がたち客室棟が解体された今、貴賓館をはっきり見ることができます。


この建物は、昭和12(1973)年に東伏見宮邦英伯爵(久邇宮家から臣籍降下された人物)の別邸として建てられた鉄筋コンクリート造りで、外観は東洋風ですが、内部はすべて洋間、アールデコ調の手すりが当時の文化の薫りをただよわせています。



戦後は終戦連絡事務局長の官舎として、またGHQ(連合国軍総司令部)フランス使節の宿舎として一時使用されていました。昭和29年に西武グループが買い取り、食堂7室、客室4室の横浜プリンス会館(ホテルの前身)として開業。


昭和35年、横浜プリンスホテル新館が開業したときから、レストランや宴会場として使用されていましたが、昭和44年に改装され、ゲストハウス(1階が会員制ラウンジと和食堂)となりました。


その後、客室棟は平成2年に全館建て替えられ、地下2階、地上15階建て、客室総数441室を誇る新生・横浜プリンスホテルとして誕生。ゲストハウスは「貴賓館」と改称され、戦前の一級別荘建築として「横浜市歴史的建造物」に認定されました。


このホテルは、2002年FI FAワールドカップでは、日本・ブラジル・エクアドルの代表チームが宿泊するなど名声を馳せましたが、既述の通り残念ながら昨年、50余年の歴史の幕を閉じました。最終日の630日、名残を惜しむ人々の様子を神奈川新聞は「近くに住む俳優の田中邦衛さんもひょっこり姿を現し、顔見知りの従業員に『お世話になりました』と挨拶。予約客で満席のレストランやバーでは夜遅くまで半世紀の思い出話に花が咲いた。また午後8には133の客室の窓明かりで描いた『50年アリガトウ』の文字が浮かび上がり日付が変わるまで照らし続けた」と報じています。


ちょうどその場に居合わせた私は、別れを告げる「光のメッセージ」を目の当たりにし、このホテルで私も父も結婚式を挙げたことなどが心をよぎり胸が熱くなりました。ホテル跡には、14棟・約1350戸のマンション(高さは旧ホテルと同等)が建つ予定で、貴賓館は現在の場所を変えずに維持・保存し、地域のシンボルとして活用する計画、と事業者は説明しています。