願行寺(磯子区中原2-13-12)

由緒ある鐘楼で除夜の鐘をつき、新年を迎える





願行事は我が家の菩提寺で、今回はその歴史を振り返ってみました。

当寺は鎌倉時代の後期、永仁元(1292)年に法燈円明国師覚心が森中原村に、はじめは禅宗の寺として開創、その後300余年を過ぎるまで禅宗でしたが、江戸時代の初め、寛文(1661年~)か延宝(1873年~)の頃、住僧諦誉存廓は浄土宗に帰依し、梅照山・海蔵院・願行寺として改宗、今日に至っています。

かつては山号にあるように本堂前に見事な梅の古木があり、裏山は緑に囲まれた不動山、前方は群青色に輝く根岸湾を望む景勝の地でした。大正12年の関東大震災では、元禄の代からの本堂や庫裏は全滅、応急建築のままでしたが、昭和53年に鉄筋コンクリート造りの荘厳な大本堂が完成しました。



ご本尊は阿弥陀三尊(中尊阿弥陀如来、脇侍の右は観音菩薩、左は勢至菩薩)で、本堂正面に安置されています(造立年代や作者は不詳)。ご仏像には、中国伝来の像といわれる青銅製の珍しい「阿弥陀三尊立像」、海中に出現したという伝説のある「阿弥陀如来立像」、仏が腰をかがめて来迎の姿を示している「阿弥陀三尊来迎仏」などがあります。

当寺の歴史を物語る「鐘楼」、その由来を調べてみると、元禄5(1692)年に造られた鐘楼は焼失し、10年後に新しい鐘楼と梵鐘が完成。施主は森村の徳江太郎左衛門直広、作は江戸住の著名な鋳物師といわれています。昭和3年、震災で被害を受けた鐘楼が草葺で復興、昭和19年に梵鐘が戦時供出されました。現在の梵鐘は、徳江泰次郎氏が寄進され、鐘楼は老朽化したため、平成3年に建て替えられました。

また墓地内には、庶民信仰の心である「石仏」があり、そのいくつかを紹介しましょう。

*馬頭観音碑・「右磯子ちか道、左磯子本道」と刻まれ、安政3(1856)年に造立です。

*塔婆形の庚申塔・表に経文と三猿、願主十六人の名があり、年月はありません。

*無縁塔・南無阿弥陀仏 天保6(1834)年6月14日と刻印。

私は、毎年この願行寺で先祖の墓参りをし、除夜の鐘を撞いて新年を迎えていますが、今回の「社寺探訪」により、その歴史の奥深さにあらためて感銘いたしました。














開創700年余年の「願行寺」