金台寺(磯子区栗木3-36-2)

明治初年、栗木村のすべての人々が檀家に・・・
開山300余年の「金台寺」(磯子区栗木2-36-2)




開山当時は小堂だったといわれる金台寺のあゆみを『磯子の史話』を参考に探訪し、浜中学校時代の同級生・第28世ご住職の奥田昭應氏にお話を伺ってまいりました。



まず由緒沿革を述べる前に、この寺が建立されている栗木について一言。

「栗木」の古来からの呼び名は「くるぎ」または「くるき」といわれ、その元になる「くらき」の名が最初に紹介されるのが『日本書紀』で、久良岐郡の中心は、栗木周辺という説もあります。



このような歴史のある栗木に金台寺が開創したのは、栗木が幕府の御料(直轄地)に任ぜられた翌年の元禄10(1697)年正月で、開山は貞享2(1685)年、円海山阿弥陀寺の第四世・實道和尚です。『新編武蔵風土記』によると、「金臺(台)寺、年貢地(直轄地)、村ノ南ニアリ、稲荷山ト号ス。本尊阿弥陀ヲ安ズ」と記されています。



その後、明治元年に金台寺学舎(後の杉田小学校の前身)を正式に掲げましたが、無檀家として廃仏毀釈の難に瀕したため、当時のご住職、二十世・但信和尚(中興)は、集落の全戸に改宗し入壇するよう勧め、過

去帳を編纂して廃寺の危機を救い、寺を存続することができました。


時代は移り、昭和30年の台風豪雨で境内地が崩落、本堂も倒壊しました。昭和33年に現在の境内地を購入(山号も寶樹山に改称)し本堂を新築、その後寺域の拡張、墓地の造営、さらに二度にわたる客殿新築と境内の伽藍を整備し、現在に至っています。

寺宝は、ご本尊の「阿弥陀如来立像(高さ約45cm)」「十一面観音像(高さ約39cm)」「両大師像(高さ約24cm)」です。立像の場合は、観音菩薩と勢至菩薩とともに三尊像(阿弥陀三尊)となるのが普通ですが、金台寺の像はひとり立ちの立像のため珍しいと言われています。



また、行事のひとつとして8月16日にお盆送りの「百万遍大
念仏会」が行われています。本堂いっぱいに百万遍の大数珠が
広げられ、町内の子供たちも参加する中で、栗木に伝承された
独特の節回しで大きな数珠を廻してゆく・・・「江戸時代から
伝えられた伝統文化として、後世まで伝承していきたい」とご
住職は話されました。


百万遍大念仏会(金台寺ご提供)

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