元禄時代から続く「榊(さかき)神輿」で有名
開創1400年余の根岸八幡神社(磯子区西町1-1)

昨年の夏、根岸八幡神社において地域で新調された神輿の奉納の儀式に参加しました。鳥居脇で「神木」として敬われている樹齢600年の大銀杏よりこの社の開創は古く1400余年前といわれています。開創のいわれを「磯子の史話」では次のようの記しています。(要約)

『次代は西暦543年、欽明天皇の頃に根岸の海に黄金色の光が輝き、海上に妙なる響きがながれ、7日目にその妙音が浜に近づき八幡橋のふもとに接岸、よく見ると黒光りした像が亀の形をした台座に立ち、五尺(約150cm)ばかりの枯れ木の根に乗っていました。古老は、「これは遠くの海からこの村を守るためにやって来た神様じゃ」といい、村主の家に安置したところ、突然ひとりの童(わらべ)が、「これは正八幡なり。この里を鎮護して里民の苦難を救わんとしている。着岸の地に社を建てるべし」と口走ったため里人たちは立派な社殿を造り、根岸村の鎮守としました。』

その後、江戸時代の初めに幕府が土地の格付けをきめる検地により、この地が滝頭村となったため、明治3年(1766)に現在の地へご遷座されました。この社には、元禄3年(1651)が起源とされ、300年以上も続く「榊まつり」という伝統の祭事があります。「大漁と海上安全、五穀豊穣を祈願する祭事」で、榊で飾り付けをした榊神輿で町を練り歩きました。

同社の宮崎常嘉宮司から、「榊神輿は宮神輿をお祓いする意味で、宮神輿の前で担ぎ、榊を飾っただけの神輿には派手さがなく、地味な神輿ゆえ、担ぎ手が化粧をし、華やかなじゅばんを羽織って担ぐようになり、有名になりました」と、担ぎ方の流儀などについて興味あるお話をお聞きしました。

このお祭は、戦後一時途絶えましたが、榊神輿の作り手がいなくなってしまうことを危惧し神社が再開。その後、中区根岸町に榊神輿保存会が平成7年に結成され、3年に1度徒御を行っています。祭礼実行委員会の成田委員長は、「今年が大祭の年で、8月15日(日)の9時半頃に神社に榊神輿を運び込み、御霊入れを行った後、根岸駅前の大通りを徒御する。昔、あんたの爺さん・寅吉さんと一緒に海上徒御をしたものだよ」と、懐かしげなご様子で私にいろいろとお話しをしてくれました。