古典的な論理学は、一般に「伝統的形式論理学」と呼ばれます。
今日の論理学からすると、あつかう範囲は狭いのですが、歴史上で、これを最初に発明したわけですから、すごいしか言いようがありません。
よくこんなこと思いついたなぁと、いつも感動します(もちろん、いきなり完成したのではなく、だんだんと作られていった学問です。6世紀初頭にボエティウスがアリストテレスの論理学書を注解しています)。
アリストテレスは、
存在としての存在の探求を目的としました。
アリストテレスによると、真の存在は「実体」です。
「実体」は、主語となって述語とならないものと規定されています。
「実体」=固有名詞
だと、わかりやすいです。
ソクラテス
とか。
ソクラテスは、歩いていようが走っていようが、笑っていようが怒っていようが、ソクラテスであることには変わりません。
その主体がソクラテスであることに変わりはなく、それらの動作や性質の変化(歳をとったりしても)にかかわりなく、ソクラテスはソクラテスです。
これを「実体」とされます
(アリストテレスの論理学の話ではです)。
「実体」に対して、去来しうるような動作や性状は「属性」「偶性」とされます。
これは、「実体」としての主語に対して「述語」としてのみ捉えられます。
例・ソクラテス(実体)は、歩いている(偶性)
という感じです。
判断の分類は、だいたい以下のように分けられます。
①定言判断
例:ピーターは人間である
「SはPである(でない)」
②仮言判断
例:妹が帰ってくるならば、家は大騒ぎになる。
「SがPであるならば、XはYである」
③選言判断
例:ピーターは、浮気をしているかしていないかである。
「SはPであるかQであるかである」
これらの形式におけるS、P、Qなどの記号は概念を代表とするものです。
★ピーターが主語で、人間が述語だったら
「主語となって述語とならないもの」=実体はおかしいではないかという考え方がありました。
「人間は、婚約する」(主語と述語)でもいいからです。
これは、ある意味、形式論理学では仕方がないことなのですが(アリストテレスの実体の存在論が基礎になっているから)、ピーター=第一実体、より広い概念の人間=は第二実体と言って、集合を広げて区別する場合があります。
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