『ンめねこ』(KADOKAWA)しりもと氏:著
(富増は文)
よろしくニャン!
プラトンの『国家』第10巻では、「イデアの模倣の模倣」という話があります。
①イデアとしての寝椅子(これがホンモノ)
②職人が作る個々の寝椅子(イデアの模倣)
③画家が描く寝椅子(その模倣の模倣)
だから、マンガは④その模倣の模倣の模倣になります。
プラトン的にはイデアからかなり離れていくのですが、現代ではこれが人気です。
プラトンは、芸術が理性ではなく感情に働きかけるのを注意した方がいいと考えたわけです(理性が中心の時代だから)。
今は、どっちかというと、「おもしろいこと」が求められますので、感情が重視されます。
「イデアの模倣の模倣の模倣」くらいがちょうどいいのです。
★イデアを考えるの大変だから…
その前に、分析哲学では、どのあたりまで「分析」をするんだ?の疑問が大きく二つに分かれています。
これは感覚で直接与えられるものです。
これらは定義できません。「赤とは何か」を、赤を見たことのない人に言葉で説明しても伝わりません。だから分析はここで止まります。クオリアっぽいやつです。
たとえば「リンゴ」を分析すると、「赤い・丸い・甘い・硬い」といった性質に分解され、最後は感覚そのものに行き着きます。
こちらは、目や耳で捉えられないのに、それ以上分解できない概念です。
このあたりに関わる主張には、次のものがあります。
「ゴッホの黄色い椅子は、この部屋にない」を分析すると、次のようになります。
一つの文の中に、二種類の終着点が混ざっています。
だから、分析哲学では、文を分析する際に、この両方の面からアプローチして、頭をハッキリさせるということをめざします。
それには、記号化すると、よりシンプルでわかりやすくなるということ。
それで、変な記号がいろいろ出てきます。
論理学を使って、分析するというのが、欧米圏では流行っているようです。
ここまでの内容を知っておいて、こちらの本を読むと、1ページ分だけスッキリわかるようになります(先は長い…)。
●ややこしい記号
⊨(ダブル・ターンスタイル)
は、
「~において真である」あるいは「~を充足する」と読む記号
⊨
あんまり、見たことないな…。
w ⊨ p
これは「世界 w において、p は真である」と読む。
「8番出口」をやっと見られました。
ゲームやってたり、ゲーム配信見ていたりすると、身にしみる映画でした。
最近は、同時視聴も多いようです。
「8番乗り場」も映画化するんですかね。乗客がけっこうすごいからいいかもしれません。
「つぐのひ」は2015年に映画化していたんですね。知らなかった。
夏に見ればよかった
分析哲学とは、20世紀初頭にフレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインらによって基礎が築かれた哲学の潮流です。
その特徴は、言語や概念を厳密に分析し、論理的な議論によって哲学的問題を明らかにしようとする点にあります。
哲学の問題のなかには、言葉の意味や使い方の混乱から生じるものがあります。
分析哲学では、こうした混乱を取り除き、何が問題になっているのかを明確にしようとします。
クワイン、クリプキ、デイヴィドソンらによって発展し、現在では言語哲学だけでなく、心の哲学、形而上学、倫理学など、いろいろあつかいます。
というわけですが、
一方、
分析美学とは、分析哲学の方法を芸術や美の問題に応用する哲学の一分野です。
たとえば、次のような問いを扱います。
そもそも芸術作品とは何か。
作品の意味や解釈は何によって決まるのか。
架空の人物や物語に、なぜ私たちは感動するのか。
美しさは作品そのものにあるのか、それとも鑑賞する人の判断によるのか。
こんな問題について、言葉の意味を整理し、議論の前提や論理的なつながりを考えます。
分析美学は、絵画や彫刻、音楽といった伝統的な芸術だけでなく、マンガ、アニメ、映画、ゲームなどの大衆文化も哲学的な研究対象になるようです。