よく「自分の頭で考えろ」とか「自分の意見を持て」とか言われるんですが、私などは、その意味がよくわかりません。
というのは、「自分の頭で考えろ」っていうその考えもまた、誰かに吹き込まれているからではないでしょうか。
「『自分の頭で考える』ってことを自分の頭で考えてみる」という必要があります。
すると、それはほぼ不可能であることがわかります。
天才的な人間が自分の頭で考えたことが膨大なデータとして残っています。
それを、学習したら、自分で考える必要はありません(だって、先に発見されていることだから)。
すると、自分で考えている無駄な時間を省いて、膨大な知識が得られます。
あとは、放置しておけば、かってに自分の頭が考えます。
これは、気がついたら読み書きができるようになっているのと同じです(言葉も自分がつくったものではない)。
たとえば、過去の哲学をデータ化して、まず頭に入れて置かなければ、自分で哲学をすることはまずできません。
やっても「車輪の再発明」となります。
(注)車輪の再発明とは、苦労して「車輪を発明したぞー!」と思ったら、とっくに外に自転車や車に乗っている人がいたということ。
哲学は2500年の歴史があります。その中で、とくにメジャー化した人たちだけの本が日本語に訳されています(訳されていないものも膨大にあり、歴史に隠れてしまった人もいる)。
だから、自分がなにか考えついても、
「そんなことは、誰かがとっくに言っている」
と思ったほうがいいでしょう。
検索するといいです。たいてい誰かとかぶるから。
よって、「自分の頭で考える」なんて必要はなく、ただ普通に勉強したほうがいいと思います。
私なんかヘタレなので、絶対に△△運動とかしませんね。
だって、それが正しいのかどうかを検証するのに何十年もかかるから。
間違っているかもしれないから。
まあ世の中の人って、なんにも調べないで、情報をそのまま鵜呑みにして、信じてしまう人が多いようですが、それは、「自分の頭で考えている」からです。
とにかく、情報を集めて、寝てればいいんですよ。
そうすれば、勝手に言語が組み合わさって、ある程度の結論らしきものが出てきます。
その自分の頭にかってにでてきた結論についても、疑って信じないようにします(これがコツと言えばコツ)。
そして、答えを保留したまま、意見を言わないようにしましょう。
これで万事解決です。
あと、「自分で考えよう」っていう自由意志をもたなければいけないそうですが、「自由意志」って、実は存在しないらしいよ…。
自分の意志も疑ったほうがいいかもね。
↑まあ、このブログに書いてあることも疑ってください。
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