いきなり、「メタバース」に入ると、「アバター」とか「マトリックス」の仮想現実の話になってくるので、少しずつ、メタバース的な体験をしたほうがいいように思います。

 

特に、ゲームをやっていない人はすぐにやりましょう。

近未来、ゲームのことを「ゲーム」と言わなくなるような気がします。

 

なんというか、この世界全体がゲームになるので、ゲームのことを「人生」と呼ぶようになるかもしれません。

 

あと、Vtuberですかね。

今、一番メタっぽいのが、Vtuberですね。

Facebookのメタよりメタっぽいと思います。

 

こういった、仮想現実的世界というのは、昔は哲学のテーマでした。

 

特に、最初はプラトンですかね。

 

プラトンの哲学を一言で表現すると、「この世界はバーチャルだ。プログラムは、直接的にはわからない。ハッキングすれば、ちょっとわかる」みたいなことを言った人です。

 

その後、

ハッキング技が、深まったのが「新プラトン主義」

それから、魔術になっていきます。

 

あと、仏教もそうですね。

「この世界はバーチャルだ。スイッチをきっとけ」みたいな感じでしょうか。

 

その後は、やはりハッキング技が流行ってきて、密教になりました。

 

近代哲学では

ジョージ・バークリの『人知原理論』ですかね。

「存在するとは知覚することである」

 

これが、現代風になると映画『マトリックス』になります。

 

カントになると、「みんなの頭の中にWindowsOSが入っている。だから、みんな共通の認識ができる。でも、マシン語(物自体)はわからないよ」みたいな感じ。

 

ヘーゲルになると、弁証法でハッキングをすすめて、「マシン語までわかるんだぜ」みたいになりました。

 

このように、哲学とは、ふつうの世界の奥にある領域までハッキングしていくという学問でしたから、そもそも、この世界がバーチャルであるということから出発、または、それを仮定して話をすすめることが多いようです。

 

今後は、哲学的思考とメタバースは密接に結びついて進化していくと考えられます。

 

あれもそうでしょう。

脳のデータをアップロードするとか。

 

もし、人間の意識が脳から生まれている派生的なものだということが正しいのなら、脳のデータをクラウドにアップロードして、永遠に生きることができるでしょう。

 

ところが、脳科学者はこの立場をとるかもしれませんが、哲学方面では、そこを疑ってしまいます。

 

「意識は脳から生まれているってどうしてわかるの?」なんて余計なことを考えるのが哲学だからです。

 

もしかしたら、宇宙も脳も、もともとメタバースだったんじゃないのか。そうなると、宇宙も脳もバーチャルマシンとして、本物の世界に乗っかっているだけだから、脳内情報はアップロードできないんじゃないの?

なんて考えてしまいます。

 

そこで、脳から意識が生じているという既成事実をいったん保留して、「意識とはなんだろう」と考え直すのが哲学です。

 

「そんなもん、考えてもわかるわけがないだろう」

と言われるかもしれませんが、

哲学では、

「『そんなもん、考えてもわかるわけがないだろう』とどうしてわかるのだろう」とさらに疑いますから、とりあえず考えることになります。

 

こうして、哲学は無限ループに陥って、一回、落ち着いて、言語分析をしてみたりして視点を変えたりします。

 

 なんだかんだ、わかんないまま人生が終わっていくので、とりあえず、脳内データをアップロードできたら、「なんでアップロードできたんだろう。やっぱ、意識って脳から出てんのか?」など考えながら、数千年生きるのもいいかもしれません。