初めて名刺を持った時の肩書き | イシコのセカイサンポ

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著書に「世界一周ひとりメシ」(幻冬舎)、「世界一周ひとりメシinJapan」(幻冬舎)、「人生がおもしろくなる!ぶらりバスの旅」(幻冬舎)「世界一周飲み歩き」(朝日新聞)

人生で初めて持った名刺に書かれていた肩書は「宣伝担当」でした。

昨日、母がネットフリックスで選んだ映画「破戒」を観ながら、ふと想い出したのです。

被差別部落出身を隠して教員として働く青年を描いた島崎藤村の作品。

どうでもいいけれど、島崎藤村は岐阜県は馬籠の生まれなんですよね。

 

そして、もう一つどうでもいい僕の「宣伝担当」の記憶。

1993年の日本映画「愛について、東京」の宣伝でした。

上京して間もない20代半ばの頃の話です。

 

丁稚奉公のように出入りしていた映画製作事務所がなくなり、

映画プロデューサーが行き場のなくなった僕を連れて行ってくれたのが、柳町光男監督の事務所でした。

「宣伝担当」の名刺をいただき、「愛について、東京」の劇場公開に向けて、お手伝いする役目をいただきます。

 

「宣伝担当」と書かれた華やかなイメージとは裏腹に、

実際の仕事は、中国人留学生が通う日本人学校や、新宿ゴールデン街や下北沢などの飲食店へ行き、

ポスターを貼ってもらい、

前売り券を扱ってもらい、

後に現金を回収するという仕事でした。

 

ヴェネチア国際映画祭正式出品はじめ、様々な国際映画祭でも受賞し、

その年のキネマ旬報ベストテン7位入賞など、国内外で評価の高い映画でしたが、

扱う題材が重いこともあり、

プロデューサーたちが集客に苦しんでいた記憶があります。

 

たとえば、「と殺場」の仕事で働いている中国人留学生が牛を殺すシーンを描いたことから、

事務所に同和団体から抗議の電話や文書が届き、監督は何度も説明しに出掛けていきました。

 

僕の場合、ポスターを貼りに行った飲食店で、「被差別部落問題」について問われたことがあります。

学校教育の中で「同和教育」について触れた記憶はあるけれど、

何の目的も持たずに上京してきたアホな若者には答えられず、

「そんなこともわからず、宣伝しているのか」

と責められた時の軽蔑の眼差しは忘れられません。

映画で描かれた牛の目と供に。

 

今でも動物の目を見ると「愛について、東京」を思いだすことがあるんだよなぁ。