今回の記事は、医療従事者の臨床経験について、注意しておきたいことを書きます。
もっとも、臨床経験は重要です。
臨床では、教科書で学ぶことが難しい内容について、知ることができます。臨床経験は、医療従事者にとって、とても大切な知識であることは確かです。
しかし、その一方で、主観的な体験の積み重ねである臨床経験には、大きな欠点もあります。
このことについて、腰痛と、椎間板ヘルニアの画像所見との関係を例として、説明します。
腰痛について、もし画像検査で椎間板のヘルニアが見つかったとしても、それが痛みの原因であるとは限りません。なぜなら、腰痛がない人にも、ヘルニアが見つかることがあるからです。
例えば、痛みの分野の「巨人」と呼ばれるPatrick Wall(敬称略)は、著書の中で、以下のように述べています(「疼痛学序説 痛みの意味を考える」Patrick Wall著、横田敏勝訳、南江堂)。
<椎間板ヘルニアの頻度は、痛みをもつ人たちともたない人たちで同じである>
細かい数字については研究によって異なると思いますが、腰痛がない人にもヘルニアが見られることは、多くの研究で示されています。痛みを専門とする分野の文献や、有名な医学雑誌のレビュー等で、このことはよく紹介されています。ヘルニアについて、痛みと関係があるケースもありますが、痛みとは関係がない場合もあると考えられます。
しかし、こういうことを他の医療従事者の人たちに話しても、受け入れがたいと感じる人がいます。「いや、私の臨床経験では…」というコメントをする人もいます。
ここで意識しておきたいことに、医療従事者の臨床経験は偏っていることが多いということがあります。
医療従事者は、大勢の人たちを診てきた経験があります。人間の体について、詳しいという自負を持っていると思います。
しかし、医療従事者が診てきたのは、多くの場合、病気や怪我のある人たちの体です。健康な人たちの体については、病気や怪我のある人たちと比べると、経験は少なくなります。
上記のヘルニアを例に挙げると、病院やクリニックで働く医療従事者たちは、腰痛に苦しむ人たちのX線やMRIの画像はたくさん見てきたと思います。しかし、症状のない、健康な人たちの腰部の画像については、腰痛に苦しむ人たちの画像と比べると、見た経験は少ないと思います。
このような偏りがあると、痛みについての考え方にも影響します。腰痛のない人の画像検査を行うと、腰痛のない人にもヘルニアがよくあるということが多くの研究で示されているにもかかわらず、そのことをなかなか信じられないということに繋がります。
臨床経験に関する、このような欠点を埋めるためには、質の高い研究の結果を参考にすることが大切です。主観(臨床経験)と客観(研究によって得られた知見)のそれぞれから学んだ知識を取り入れることで、自己の向上に繋がります。
臨床経験は重要ですが、大きな落とし穴もあります。様々な知識をバランスよく学ぶことで、偏りを減らすことができます。医療従事者にとって、養成学校を卒業した後も勉強を続けることは、とても大切だと思います。
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