筆者が好きな本の一つに、「クラスメイトはみんな外国人。」(世鳥アスカ著、朝日新聞出版)という本がある。
この本の著者は高校生の時に、父親の仕事の都合でアメリカのアラスカ州に移住して、現地の高校と大学で学んだ。主に高校時代のことについて、漫画にしている。
著者のアラスカ時代について、もう一冊の本(「アラスカ・ワンダホ―!」世鳥アスカ著、イースト・プレス)もあり、そちらも気に入っているが、今回は上記の本の内容を一部引用しながら書く。
著者が日本に帰国してから、著者の友人たち(アメリカ人)が来日した。
そして、皆で山手線の電車に乗っていた時、以下のような英会話講座の映像が車内の画面に流れていたという。
<He gave me a bike and it was so cool, but it is a white elephant to me now. 下線部の意味は何?>
日本人の著者は、下線部の意味について、分からなかったという。
それでは、アメリカ人の友人たちは、どうだったのだろうか(以下、単発のブログ記事として読みやすいように、人物の表記を匿名にするなど、筆者が若干の修正を加えた)。
<アメリカ人の友人A:「A white elephantだってさー」
アメリカ人の友人B:「へー」
アメリカ人の友人A・B「何て意味?」>
<著者が心の中で思ったこと:(え?!おいコラ アメリカンッ)
アメリカ人の友人A:「いや~マジでわかんない」
アメリカ人の友人B:「イギリス英語?」
アメリカ人が知らない英語を教える山手線英会話>
これって、英語に関して、ありがちな出来事だと思う。そして、日本の英語教育の問題点を示唆していると思う。
例えば、日本の学校教育(受験を含める)では、膨大な数の英単語や表現を覚えさせられる。文法についても、例えば大学受験の参考書では、細かすぎる(基本的に、普段のコミュニケーションでは使わない)内容が含まれている。
このことについて、恐らくは、「たくさん覚えさせれば、英語ができるようになるだろう」という、教育行政に関わる一部の人々の思い違いか、あるいは試験で差をつけやすくするために敢えて難問を含めている等の理由が考えられる。
大人を対象とした英語教室でも、レアな表現を教えることは、一部であるように思う。この場合、生徒を長く教室に通わせるために、指導する内容を増やそうとしているのかもしれない。
しかし、例えば上記の映像のように、英語のネイティブでさえ知らない表現を日本人の英語学習者に教えることには、意味があるのだろうか。
英語の基礎的なコミュニケーション能力を高めるためには、教える単語や文法等の数は、むしろ少ない方が良いと思う。まずは実際のコミュニケーションの中で頻出する内容に限定して理解を深めることで、基礎的なコミュニケーション能力を向上させることができる。その後、もっと語学力を上げていきたいという人は、少しずつ語彙力などを増やしていけばよいと思う。
筆者は、英語が苦手な日本人がいまだに多いことについて、理由があると思う。そして、理由の一つとして、あまり実用的ではない、難しい表現を教えることで、生徒が英語嫌いになっているということが挙げられる。
英語の基礎的なコミュニケーション能力を身につけるためには、難しい内容は必要ない。このことは、これからも強調していきたい。
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