日本人は、旅が好きな人が多いと思う。
例えば、国内外のツアーに関する宣伝は、よく見かける。大勢の人々が観光地を訪れ、四季折々の風景を楽しんでいる。
そして、日本人は、昔から旅が好きだったらしい。特に、江戸時代は旅の人気が高かったという。
このことについて、高階修爾(以下、敬称略)の著作である、「日本人にとって美しさとは何か」(筑摩書房)を主に参考にしながら、他の本から得た知識や私的な意見等も交えて記事を書いていく。
江戸時代、諸国を結ぶ街道には大勢の旅行客がいたという。
例えば、江戸時代の日本に滞在経験がある、ドイツ人医師のケンペルは、街道が大変清潔であったこと、そしてヨーロッパの街の道路と同じくらい多くの人々が街道を歩いていることに驚いている。江戸時代には、庶民が気軽に旅行を楽しんでいた。
なぜ、大勢の人々が旅行を楽しむことができたのか。
まず、街道の安全性が比較的高かったことが挙げられる。そして、人々の移動をサポートし、宿泊のための施設もたくさんあった「宿場」が整備されていたということも大きいらしい。
例えば東海道では、宿場ごとに本陣(高級旅館)や木賃宿(安価で宿泊できる旅館)など、異なる需要に応じた施設が整備されていた。更には、馬と人足も備えられており、旅行者は必要に応じてそれらを利用することができた。更には、荷物だけ次の宿泊施設に送ることや、不必要な荷物を故郷に送るという、宅配のためのシステムまであったらしい。
つまり、当時の人々が気軽に旅行ができたのは、旅行が好きということだけではない。旅行と関連するシステムが整備されていたということも、大きな理由だと考えられる。
なお、同じ時代のヨーロッパでは、旅は危険なものだったらしい。
例えば「若きウェルテルの悩み」等で知られるドイツのゲーテは、若い頃にイタリア旅行に出かけた際、護身用の武器を常に持っていたという。また、18世紀には、イギリスの貴族の子弟が「グランド・ツアー」と呼ばれるイタリア旅行をしていたが、大勢の従者を引き連れ、家具まで持参していたらしい。このように、当時のヨーロッパは、庶民が気軽に旅行ができるという雰囲気ではなかったようである。
なぜ日本では、街道や宿場が充実していたのか。それには、参勤交代の制度が関係していたらしい。
参勤交代では、全国の大名たちが将軍のいる江戸に向かうことになる。そして、移動の際には、藩の規模にもよるが、数百から数千の従者を引き連れていたという。
これだけの大勢の人々の移動を円滑に行うためには、関連する設備の充実は必須だったのだろう。そして、そのことが、庶民の旅行も可能にしたのだと思われる。
庶民が旅行好きだったことの裏付けとして、関連する物が売れたことも挙げられる。
例えば絵画について、歌川広重が描いた東海道五十三次は、大ヒット作となった。このシリーズでは、東海道沿いの風景が一連の版画として発表された。
そして、本についても、十返舎一九が書いた東海道中膝栗毛が、大変な人気を博した。二人の主人公の旅の様子を面白おかしく描いたこの本は、人気のため、一度終了した後も続編が描かれたほどであった。
これらの作品が人気だった理由について、それぞれが優れた作品だったことに加えて、当時の人々が旅を愛していたことも影響していたと思う。人々は、自身の旅行の経験を思い出しながら、これらに接していたと思われる。
日本人で、旅が好きな人は多い。このことは、今も昔も変わらないのかもしれない。
筆者も、旅が好きな一人だ。昔から日本国内の旅は好きだったし、後には海外にも行くようになった。
しかし、初めての海外(語学学校での勉強と、専門分野の研修)に関して、出発の前は怖かった。
何しろ、初めての飛行機で、初めての海外で、当然のことながら現地には誰も知り合いはいなかった。渡航前に英語の勉強をしていたとはいえ、初めてだらけの海外渡航である。空港でも、飛行機の中でも、不安に押しつぶされそうになっていたことを今でも思い出す。
この時の気持ちは、以下の記事に書いている。
https://ameblo.jp/sekainokesiki/entry-12657805845.html
しかし、海外での滞在は、楽しかった。それまでには経験したことがない、驚きの連続だった。この時の体験により、海外の大学院への留学について考えるようになった。
今後も、旅をしていきたい。人々との出会いを楽しみながら、これからも国内外に出かけていきたいと思っている。
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