ロンドンにある、世界的に有名な博物館であるVictoria & Albert Museumで、日本人のファッションデザイナーの展覧会が過去に開催されたことを、ご存じだろうか。
そのファッションデザイナーとは、山本耀司(以下、敬称略)である。山本が率いる、Yohji Yamamotoの展覧会が、上記の博物館で行われた。
筆者はこの展覧会を見ることはできなかったが(この当時、まだ服にそれほど興味を持っていなかったので、このブランドのことも知らなかった)、展覧会と連動して作成されたと思われる本を後に購入した(Salazar L. (2011). Yohji Yamamoto. V & A Publishing)。
そこには、興味深い内容が記されていた。
例えば、これは山本の言葉だと思うが(英語でインタビューや講演などをしている)、上記の本には以下のような内容が記されている。
<Fabric is everything. Often I tell my pattern makers, “Just listen to the material. What is it going to say? Just wait. Probably the material will teach you something.>
「布がどのような形になりたがっているか、布自身が教えてくれる」と山本が話しているインタビューが何かの本に掲載されていたと思うが、このような感性で服を作っている人は珍しいと思う。
この本は、山本の感性を分析している。そして、日本の伝統的な詫び寂び(わびさび)について、注目している。
例えば、山本は、「完全」な服は好きではないという。むしろ不完全さの中に、美を求める(例えば非対称のデザインも、不完全さに含まれるのだと思う)。このことに、詫び寂びの精神が影響しているのではないかという分析である。
Yohji Yamamotoの服と詫び寂びの関係について、以下のような分析が、上記の本に掲載されている。
<His insistence on imperfection relates closely to one of the key ideals of Japanese aesthetics, wabi-sabi, which describes an acceptance of imperfection, impermanence and incompletion in an object.>
この分析について、興味深いと思う。
国や地域にもよるが、西洋では調和や完全性が重視されることが多い。
例えばヨーロッパの建物や庭園を見ると、多くの場合、左右対称となっている。人間が手を加えて、このような形を作っている。
しかし、日本では、非対称なもの、そして不完全なものも重視されてきた。
例えば、茶器の金継ぎが分かりやすいと思う。割れた茶碗のひびを漆で補い、金粉を加える修復方法のことを金継ぎという。
この方法は、単なる修復のための技術ではない。そもそも、ひびの部分を金色に塗られた茶碗は、元の外観とは異なる。しかし、金色を加えることで、以前とは異なる趣を感じさせる。金継ぎとは、新たな美を創生するための手法と言える。
もし、割れた茶碗を欧米で修復しようとしたら、できるだけ元の形に戻そうとするだろう。目立つ色である金を使って修復などしたら、完全性が損なわれてしまうと感じるのではないか。
しかし、日本は独自の観点から、固有の美意識を伝統的に育んできた。
詫び寂びについて、欧米の専門家は注目している。
しかし、現代の日本は、長年かけて培ってきた美意識を蔑ろにしているように思える。詫び寂びの風情を感じることができる場所は、年々減っているように感じる。
日本における、独特の美意識である詫び寂びについて、日本人はもっと大切にしていくべきだと思う。
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