校舎の中に入り、エレベーターを探した。そして、エレベーターに乗り込み、ボタンを押した。

 

3階か4階か、もう覚えていないが、上の階に移動して、エレベーターを降りた。

 

エレベーターの外は、左右に通路が分かれていた。そして周囲の壁には様々な掲示物があり、授業の案内や、教室の変更などの内容が書かれていた。

 

周囲の壁に貼ってある掲示物は、全て英語で書かれていた。

 

英語が溢れる環境。懐かしい。彼は嬉しくなった。

 

周囲の部屋の番号を見ると、エレベーターから近い、東側の通路沿いの教室が目的地のようだ。

 

彼はドアをそっと押して、部屋の中に入っていった。

 

確かこの時、彼以外の人はいなかったと思う。初めての場所に行く時など、彼は早めに行動することを心がけているので、同じような状況になることは多い。

 

結構広い部屋だ。大学でよく見かける、長い机に数個の椅子が組み合わされた作りだったと思う。そうした机と椅子が、たくさん並んでいた。

 

恐らくは、全ての椅子に学生が座ると、五十人くらいは収容できるのではないかと思われた。数百人が座れるような大講義室は別として、まずまずの大きさだった。

 

彼は、教室のほぼ中央の位置、前から二番目か三番目くらいの席に座った。そして、荷物を置くと、教室の中をじっと見まわした。

 

「今日は、どんな授業が行われるのだろう」

 

そんなことをぼんやりと考えていると、やがてぽつぽつと、他の人も教室に入ってきた。近くに座ってきた人とは、軽い挨拶を交わした。

 

アジア風の外見をしている人は、全体の4割くらいだったと思う。後で判明したことだが、その多くは、日本で生まれ育った人たちだった。

 

他の人々は、アジア系以外の人々だった。これまた後に判明するのだが(あまり覚えていないが、自己紹介か何かをしたのかもしれない)、出身がヨーロッパの国々である人は結構いた。他にも、例えばアフリカ出身の人もいた。英語圏の国の人もいれば、そうではない人もいた。

 

性別で言うと、女性の方が多かった。受講者全体の6、7割くらいは女性だったと思う。

 

これも後に判明するのだが、彼が話した限りでは、これから英語指導を始めるというよりも、既に英語指導に関わっている人が多かった。後に仲良くなってから、英語指導の現場について話を聞くようになり、参考になった。

 

このように、多様な受講生が集まっていた。もっとも、時期によって参加する人が異なるので(英語指導のcertificateを得るための授業は複数開講されており、分かりやすく言うと必修科目と選択科目がいくつかある。合計のポイントが基準を満たすことで、certificateが取得できる。何を選択するか、そして開始時期によって、参加者は異なる)、この後も様々な人々と知り合うことになるのだが、この時期はこれらの人々と一緒に学ぶことになった。

 

教室のあちこちで、挨拶を含めた会話が交わされていた。しかし、まだ、手探り状態といった感じだ。

 

受講生が集まり、教室内で待機していると、教室のドアが、ガラッと音を立てて開いた。それは、この時期の授業が始まる合図となった。

 

(この記事について、当ブログの管理人が運営しているサイトにて、管理人自身が執筆した記事を見直して修正を加えたものです。https://www.tclassroom.jp