彼は以前、オーストラリアの西部にある、パースに滞在していたことがある。十年以上、前の話である。
パースでは、郊外の住宅地の家にホームステイをしていた。シティ(繁華街)に行く時には、バスを乗り継いでいくので、休日以外は毎日のようにバスを利用していた。
バスの中から見える風景は、興味深かった。この時が初めての海外だったので(ついでに書くと、飛行機も初めてだった。たった一人で、異国に旅立ったのである)、日本とは異なる周囲の風景に驚かされることが多かった。
ところが、バスについて、外の風景だけではなく、中の風景も面白かった。ちょっと記事には書けないようなことも含めて、エピソードには事欠かない。
この記事では、一つのエピソードについて書く。
彼が滞在していた頃のパースでは、携帯電話はノキアの商品が主流だったと思う。日本は違うかもしれないが、少なくとも海外の多くの国々では、昔は一番人気があったメーカーである。
彼は携帯電話をレンタルして使っていた。数か月間の滞在なので、購入する必要はないと考えたのである。レンタル店に行き、契約を交わして、一台の携帯電話を使用していた。
「勉強のために、ここに来たのだ」という意識(今振り返ると、当時はちょっと肩に力が入り過ぎていた)、そしてお金の節約を目的として、機能は最低限の安価なモデルだったが、やはりノキアの携帯電話だったと思う。
その携帯電話の着信音は、シンプルで分かりやすいものだった(もっとも、単純な音ではなく、昨今のスマホとは異なり、何かのメロディになっていたと思う)。上記のように、携帯にこだわるつもりが全くなかった彼は、初期設定の音を変えずに使用していた。
街のどこかを歩いていると、その着信音が鳴る。何か連絡かなと思って、携帯を取り出す。その流れが、懐かしい。
ある日、バスに乗っていた時、馴染みのメロディが車内に鳴り響いた。
自分の携帯の音かなと思って、ポケットから慌てて取り出したが、何も表示されていなかった。どうやら、彼の機器ではなかったらしい。
ふと、車内の後方を振り返ると、そこには彼と同じように、自身の携帯を探っている人々が、あちこちにいることに気づいた。
初期設定から、携帯の着信音を変えていない人が、こんなにいるんだ。
このことに気づいた時、彼は何だか嬉しくなった。
彼がオーストラリアに来た頃、少なくとも日本では携帯の着メロ(着信音が何かのメロディになっている)や着うた(着信音が歌のメロディになっている)がまだ流行っていたと思う。多くの人々が、お気に入りの着メロを探すのに努力していたように記憶している。
しかし、あれもブームの一種だったのだろう。スマホになってからは、着信音で個性を出すというのは、下火になっていると思う。
ブームというのは、多少の圧迫感がある。何となく、周りに合わせた方がいいような雰囲気になってしまうことが多い。彼は世間の流行をあまり気にしないが、それでも、多少の居心地の悪さを感じていた。
それが、オーストラリアに来てみると、着信音に凝っている人なんて、ほとんどいなかった。「それが何なの。私は私」。こういう雰囲気が多かった。
この雰囲気が、好きだった。まるで、オーストラリアの広い空のような、自由な考え方が好きだった。
これはもちろん、携帯電話のことに限らない。
もちろん、長所も短所もあるとは思うが、それでも彼は、この国に来て、少し解放されたような気がした。
良い意味で、自分らしくあるべきだと思う。無理をして、周囲に合わせる必要はない。人は、自分らしく生きてよい。
このことについて、残念ながら、日本では実感できる機会は少ない。
日本はよくコントロールされた、電車やバスが時間通りに来る、便利な国だが、そのためには様々な制約がある。安定した秩序を維持するために、人々は様々な規則や、無言の圧力で縛られているように感じることが多い。
しかし、そうした圧力から自由になると、違ったものが見えてくる。
これは、日本にいては分かりにくい。異なる文化圏で生活してみて、初めて分かることだと思う。
多くの日本人に、海外に行き、様々な経験をしてほしいと思う。それは必ずしも楽しいことばかりではないかもしれないが、苦労も含めて、学ぶことは多い。年齢や性別、肩書は関係ない。「ここ」ではない「どこか」でしか学べないことは、今の時代にも存在するのである。
(この記事について、当ブログの管理人が運営しているサイトにて、管理人自身が執筆した記事を見直して修正を加えたものです。https://www.tclassroom.jp)