彼は3月の春休み期間にイギリスへの旅行に行き、友人に会い、懐かしい場所を訪れた後、日本に帰国した。
当時勤務していた大学を3月いっぱいで退職する予定だったので、残りの期間で荷物の片付けなどをする必要があった。
彼は大学の教員であることをやめ、独自の道を進むことにした。
不安がなかった訳ではない。そして、何よりも、彼を慕ってくれる学生たちと一緒にいることができなくなったのは、辛かった。春休みに入る前に行われた、当時担任の一人として関わっていた学年の集会で、彼が辞めることを伝えた時の、驚きと落胆の様子がクラス中に広がった時の光景は、今でも忘れられない。
しかし、彼はどうしても、独自の道を進みたかった。国内外で自分が学んできた知識を、自由に活用することができる場を作りたかった。
組織の中にいると、これは難しい。特に、日本型の組織では、このことが現れやすいと思う。
一つ分かりやすい例を挙げると、彼が以前読んだ本の中に、以下のようなエピソードが記されていた(思い出しながら書いているので、正確性には若干欠けるかもしれない)。
日本の会社で勤務していたAさん(本の中でどのように書かれていたかは覚えていないが、この記事ではAさんとする)は、アメリカの有名な大学院に留学して、MBAの学位の取得を目指すコースで学ぶことになった。
Aさんは会社に籍を置いたまま、留学することになった。その会社の、将来の幹部候補生の一人だったのかもしれない。
勉強は、大変だった。例えば、翌週までに読む必要がある文献を机の上に積み重ねてみたら、凄い高さになったという。寝る間も惜しんで勉強をして、経営学に関する専門知識を取得して、人脈を広げた。
大変な苦労をしてMBAの学位を取得して、日本に戻ってきたAさんは、帰国後の生活の中で愕然としたという。せっかく身につけた専門知識を生かす機会が、ほとんどなかったのである。
会社では、留学前のポストに戻ることはできたのだが、学位を取得した後も、以前と同じ生活が待っていた。身につけた英語力や、経営学の専門知識を生かせるような立場につくことはなく、年功序列のシステムに従って、上の役職には在職期間が長い高齢の社員が占めていた。
大学院の同級生の一人と連絡を取ってみると、その人は、海外の会社で満足できるポストを与えられて、身につけた知識を活かして精力的に働いているという。自身の境遇との違いに、Aさんは悲しくなった。
それでもAさんは我慢して働いていたが、ある日、決定的な事件が起きた。英語が話せるからということで、Aさんは外国企業とのビジネスミーティングに上司たちと共に参加することになった。通訳のような立場で、上司と相手のやり取りを訳していたのだが、上司の対応が稚拙だったので、相手の会社の社員がうんざりしてきたことが分かったという。
これはまずいと感じたAさんは、単に上司の言葉を伝えるだけではなく、自分自身の意見もコメントするようにした。相手の社員は大変満足した様子になり、ミーティングの後、上司にではなく、Aさんに「素晴らしい会合だった」とお礼を伝えた。
ミーティングがうまくいき、ほっとしたAさんを待っていたのは、怒り心頭の上司だった。「お前、何勝手なことをしてんだよ!」とAさんを怒鳴りつけた。
この後、Aさんは、会社を辞めて、独自の活動を始めることを決めたという。
ビジネスミーティングにおけるAさんの振る舞いは、上司のメンツを潰す、越権行為と捉えられたのだろう。
しかし、この時の詳細な様子は分からないが、Aさんは何も100%自身の意見を通した訳ではないと思う。恐らくは、上司の意向を尊重しながらも、ミーティングを上手く運ぶために、機転を利かせて、細かい部分でサポートをしていたのだと思う。
ミーティングは上手くいき、会社の利益も確保された。しかし、それでも、Aさんのサポートは認められなかった。Aさんは、悔しかったと思う。
彼は、このエピソードについて、日本型の組織によくあるケースだと思う。
先進的な知識や技術を身につけても、年功序列のシステムの中でそれらを十分に発揮できるのは、数十年後になるかもしれない。その頃には、せっかく身につけた知識や技術は、古くなってしまっているだろう。
年功序列のシステムが幅を利かす組織では、もし若い人が優れた能力を身につけていたとしても、それを組織の中で活かすことは難しいと思う。
彼は、Aさんのように、独自に活動する道を選んだ。この先、どうなるか分からないが、チャレンジすることもなく、身につけた知識や技術をそのままにしておくことだけは、避けたかった。不安と期待を抱きつつも、それでも彼は前に進むことにした。
(この記事について、当ブログの管理人が運営しているサイトにて、管理人自身が執筆した記事を見直して修正を加えたものです。https://www.tclassroom.jp)