彼はロンドンの書店で、興味がある分野の本を眺めていた。そうした本の中には、痛みの分野の専門書も含まれていた。
彼はイギリスの大学院で、痛みを専門とする、臨床系のコースで勉強した。
大学院を卒業した後は日本に戻り、今に至るまで、医療分野の多くの専門家と出会ったが、彼が取得した学位について話したことがある人の中では、それについて正しく理解していた人は、一人もいなかった。
もっとも、それはある意味では、当然のことだった。何故なら、彼がイギリスの大学院で学んだコースは、海外の大学院であれば様々な国々で見かけるが、彼が知る限りでは、日本の大学院ではまだ開講されていないコースだからである。
しかし、それでも彼は、個人的なことを別にしても、このことを残念に思っていた。
何故なら、pain managementのコースがないということは、様々なタイプの痛みについて系統的に教育を受けた、臨床における痛みのスペシャリストを育てる場が、日本の大学院にはまだないということを意味するからである。
痛みについて、急性痛でも、慢性痛でも、そして身体的な要素の影響が強くても、心理社会的な要素などの影響が強くても、広くカバーすることができ、治療についても様々なアプローチを提供できる、単独の診療科(通常よく見られるもの)は基本的にないといってよいと思う(幅広い痛みに対応できるように、痛みに特化した部門を特別に設置していたり、痛みの現代的な概念に基づく知識を持っている、様々な専門職を集めていたりするようなケースは別)。
痛みの専門家を育成するには、どうすればよいのか。
痛みには、様々な要素が関連している。痛みの全体像を捉えて、適切なアプローチを考えるためには、痛みを専門とするコースで学ぶ必要がある。しかも、臨床における痛みの専門家を育てるためには、基礎研究ではなく、臨床系の痛みのコースで系統的に痛みの勉強をすることが望ましい。
そして、痛みと関連する要素が多様であることから、評価や治療についても、多様な選択肢について学ぶ必要がある。そのため、医師、薬剤師、看護師、理学療法士など、様々な専門職が共に学び、議論できる環境が理想的である。こういう環境で勉強をすることで、自身の専門に限定されず、痛みの医療の全体像を把握することができ、痛みをより深く理解することができる。
これらの条件を満たすのが、pain managementのコースである。
個人での勉強や、施設ごとの勉強会なども大切だが、そうした勉強方法には限界がある(知識や技術が偏ってしまうことが、よくある)。やはり大学院で、多くの専門家が関わり、系統的に構成された内容を学んで、学位を得られる正式なコースとして開講することが望ましいということは、言うまでもないと思う。
また、pain managementのように、多職種が学ぶコースであれば、エビデンスが重視されることも良い側面だ。
異なる職種が集まり、議論を交わす場合に、鍵となるのはエビデンスである。他の職種にも治療の有効性を理解してもらうためには、質の高いエビデンスを示すことが必要になる。このような過程を通じて、エビデンスについての理解を深めることができる。
近い将来に、日本でも、「pain managementを学んだよ」と他の医療従事者に言って、相手から「ああ、そうなんですね」とすぐに理解してもらえるような状況になれば嬉しい。そして、痛みについての豊富な専門知識を有する医療従事者が増えれば、痛みに悩む多くの方々にとっても、大変好ましい状況になると思う。
(この記事について、当ブログの管理人が運営しているサイトにて、管理人自身が執筆した記事を見直して修正を加えたものです。https://www.tclassroom.jp)