今回の記事で、服のジャポニズム編を終了したいと思う。日本のファッションの現状について、個人的に思っていることを書きたい。

 

これまでに記事に書いてきたように、江戸時代の着物に加えて、現代の日本の洋服の一部も海外から高い評価を受けてきた。例えばコムデギャルソンやYohji Yamamoto、ISSEY MIYAKEの服は現在でも高い評価を受けていると思う。

 

しかし、日本のファッションの今後については不安が残る。最近の日本のファッションの状況について、安易な方向に流されているのではないかと感じるのである。

 

例えば、近年の日本のファッションについて、いわゆるファストファッションやプチプラと呼ばれるような、安い服が人気を得ていると思う。値段が安く、新しい服を購入しやすくなったので、便利な側面もある。

 

しかし、こうした安い服には様々な問題も付きまとう。

 

例えば、安い服の多くは人件費が安い国や地域で作られている。元々人件費が安い国で、更に人件費を絞って労働者を働かせているケースが多いと思われる。そして、人件費だけでなく、他の費用も抑えることで製造価格を安くしていると思うが、これには様々な問題が生じる。

 

例えば、2013年に、バングラデシュにある縫製工場が入った商業ビルが崩壊する事故が起き、1134人の死者を出す大惨事が起きたことを覚えているだろうか。従業員たちは事故前日にビルの壁や柱にひびが入っていることに気がつき、マネージャーに報告していたが、ビルのオーナーは問題ないと主張して、工場のマネージャーは従業員に対して仕事をしなければ解雇の可能性があると告げていたという。このような状況で、未曾有の事故が発生したとされている。

 

製品をできるだけ安く作るためには、人件費だけでなく、安全に対する投資も抑えるようになるので、このような事故を引き起こす可能性が高くなる。あまりにも安い服は、労働問題や、人権の問題が関わっている可能性がある。

 

服以外のものでも同様だが、物やサービスには適正価格というものがある。あまりにも安い物やサービスは、どこかに無理があると思う。安くて便利な反面、そうしたものが流行ると、どこかで誰かが人知れず泣いている可能性がある。

 

これからの日本のファッションについて、安さを重視するのではなく、創造的なデザインや、製造過程における労働者の権利などを重視した服が評価されるようになってほしいと思う。そうすることで、ファッションの持続的な発展が可能になると思う。

 

そのためには、消費者の意識の変化が重要になる。企業だって、売れなければこのような服を作ることはできない。企業の側の意識の変化だけではなく、消費者の側の意識の変化も必要なのである。

 

ファッションの歴史を振り返ると、日本の服は様々な点で評価されてきた。今後もこのような評価を受けるためには、様々な点で創意工夫が必要となる。個人でできることには限りがあるが、自分自身、ファッションの発展に貢献できるような消費者でありたいと思う。

 

(この記事について、当ブログの管理人が運営しているサイトにて、管理人自身が執筆した記事を見直して修正を加えたものです。https://www.tclassroom.jp