イギリス滞在が長くなるにつれて、彼には現地で知り合った友人が増えてきた。院生だけでなく、学部生にも友人ができたし、社会人として働いている友人もできた。この頃になっても、勉強の忙しさは変わらず、修士論文に関連する様々なことが動き始めた時期でもあるので、友人たちから声をかけられても、その半分も参加できていなかったが、何とか時間ができた時には参加するようにしていた。

 

そうした友人たちの中で、ある社会人の友人が、皆で集まる機会によく来ていた。その友人は、集合時間に遅れてくることがなかった。比較的早めの時間で、もし残業があったら遅れてきても不思議ではない時間設定の時でも、その友人は遅れずに参加した。

 

イギリスにもいろいろな職場があると思うが、通常は残業がほとんどないらしい。確かに、イギリスのお店は決まった時間にお店を閉める。残業をしようという気持ちはあまり感じられない。

 

これはオーストラリアでも同様である。彼は以前、オーストラリアの西の方にあるパースという街に勉強のために滞在していたことがあるが、スーパーが閉まる時間がすごく早かった。はっきりとは覚えていないが、恐らく午後530分かそのくらいだったと思う。これでは、理学療法の専門分野のコースの授業を終えた後にスーパーに行きたくても、ほとんどの場合、閉まっている。1週間に1回、夜遅くまでスーパーが空いている日があるので、平日に買い物をしたい時にはその日に商品を大量に買い込むことになるのだが(よく両手に大きな買い物袋を持ってバスに乗っていた)、彼の母国では多くの店が午後8時くらいまで営業しているので、最初は不便だと思った。

 

しかし、このことは就業時間がきっちりと守られていることの証だと思う。実際、オーストラリアのある人は、自分たちの国で労働者の権利が守られていることを誇りに思うと彼に語っていた。勤務時間だけでなく、例えばイギリスもオーストラリアも週末や祝日は開いているお店の数や交通機関の本数が少なくなり、これは不便ではあるが、無理な労働を強いられないということでもあると思う。基本的に、週末は家族と一緒に過ごす時なのである。

 

翻って、彼の母国のことを思うとがっかりする。彼の母国では、多くのお店が夜遅くまで営業していて、週末も同様、むしろ稼ぎ時であるかのように多くのお店が開いている。客の立場からすると、便利である。しかし、このやり方は明らかに、労働者にしわ寄せが来ていると思う。

 

勤務時間もそうだ。彼の母国では、夜遅くまで続く残業及びそれが引き起こす健康不安などが度々社会問題として取り上げられているが、あまり本質的な改善の兆しが見られない。労働者にとって、過酷な環境である。

 

彼の母国にいると、不満はあっても、なかなかその異常さに気づくことが少ないと思う。しかし、海外に滞在して、周囲の社会人の様子を見ていると、その異質さがはっきりと理解できる。

 

残業がほとんど存在しない社会。いつか、彼の母国でも、そういう状況が普通であるような社会になってほしいと思う。そして、それは不可能ではないと思う。なぜなら、同じ地球上に、一定の経済的成功を収めながらも、そういう状況を作り上げている社会が既にあるからだ。多くの方々が、仕事以外に趣味に十分な時間を費やして、家族と共に過ごす時間をたくさん持てるようになってほしい。

 

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