ある日の休日、ロンドンの街中を歩いていたらお腹が減ったので、彼はお昼を食べることにした。この日はロンドンにある某日本食レストランで食事をすることにした。Piccadilly Circus駅から比較的近い場所にあり、値段も手ごろなので、彼はよくこのお店を訪れていた。
店内に入り、座席に座ろうとすると、彼の座席の近くに日本人ミュージシャンの布袋寅泰さんのイベントを告知する紙が置かれていた。それを見て、あぁ、布袋さんは頑張っているんだと思い、胸が熱くなった。
布袋寅泰さんは、人気の絶頂期に解散して、伝説となっているバンド、BOØWYのギタリストとして有名になったミュージシャンだ。応募が殺到して電話線がパンクしたという伝説の東京ドームライブの後、ソロ活動を行い、吉川晃司さんと組んだCOMPLEX(解散の際にはやはり東京ドームでライブを行い、東日本大震災の後には復興支援で期間限定の再結成を果たして、二日間の東京ドームライブをチャリティで行っている)、そして再びソロ活動を行い、現在も精力的に活動している。
作曲家としても有名で、妻の今井美樹さんの代表曲PRIDEを作曲したり、他にも例えばももいろクローバーZにも曲を提供したりしている。映画「キル・ビル」のテーマ曲の「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」は耳にしたことがある方が多いと思う。
ソロ活動になってからも活動は順調で、大きな会場でたくさんのファンを集めてライブを行っていた。作曲家としても多くの楽曲を手掛けていて、そのまま日本にいて活動を続けていれば、ほとんど不自由のない生活が送れていたと思う。
そんな布袋さんは50歳の時にロンドンに移住した。一人ではなく、家族を伴っての本格的な移住だ。50歳という年齢にもかかわらず、布袋さんは夢に自分自身をかける決断をして、海外に行った。
布袋さんの著書である「幸せの女神は勇者に味方する 人生の新しい扉を開く50の提言」(幻冬舎)を読むと、三十代の頃、ロイヤル・アルバート・ホールのステージで演奏すると決意したらしい。自身の音楽のルーツであるブリティッシュ・ロックへの憧れから、イギリスの歴史あるこのホールでライブを行うことを夢見たとのことだった。
しかし、日本での活動は順調で、子供ができて、日々の多忙の生活の中でその夢は後回しになっていった。しかし、2011年に仕事でロンドンを訪れて、車の中からふとロイヤル・アルバート・ホールが見えた時、凄く後ろめたい気持ちになったという。自身の書いた楽曲で夢を追いかけることの大切さを訴えているのに、自分自身はどうなのだろう?今も夢を追いかけているのか?と自身に問いかけたようだ。
そこから、布袋さんはイギリスに移住して、ロンドンのラウンドハウスでライブを行った。布袋さんは今もロンドンに住んでいて、日本と海外の両方で活動を続けている。今でも夢を追いかけている。
布袋さんは海外のロックについて造詣が深いので、いつか海外で活動することを夢見ていたのだと思う。ロイヤル・アルバート・ホールもその一つだと思う。日本におけるキャリアに影響があるかもしれないのに、50歳で海外に移住して新しい活動を始めた、布袋さんの情熱は本当に素晴らしいと思う。
そんな布袋さんについて、有名なミュージシャンだから決断ができたのだろうという人がいるかもしれない。しかし、結局のところ、それはあまり関係ないと思う。余程の事情がない限り、本当は誰しもが自分の夢に向かって挑戦できる。問題はそのことを決断して、準備し、実行する強い意志があるかどうかだ。
もちろん夢を追うことは簡単なことではない。彼自身、今回の留学までに相当な苦労をしている。医療従事者として忙しい臨床で仕事をしながら夜と週末には語学の勉強をして、オーストラリアで医療の専門知識を学び、贅沢を戒めて、大学院の留学の費用をためていった。夢を追いかけることには強い意志と努力が必要になる。
しかも、多大な努力を積み重ねていっても、成功するかどうかは分からない。費やすべきものに対して、リスクは高い。そのため、多くの人が夢を追いかけることに対して躊躇するのは当然とも言える。
それでも、夢を追いかける人はいる。布袋さんもその一人だ。夢を追い求めて海外で奮闘する布袋さんの姿から、彼は何度も勇気をもらった。
日本食レストランでランチを食べた後、彼は街中を歩き始めた。ロンドンは夢を追う人たちが住んでいる街だ。自分も負けずに頑張ろうと彼は思った。
(この記事について、当ブログの管理人が運営しているサイトにて、管理人自身が執筆した記事を見直して修正を加えたものです。https://www.tclassroom.jp)