以前、インターネットのニュース記事を見ていて、唖然とするニュースを見つけた。

 

日本に住んでいるネパール出身の人が、帰宅途中の電車内で、30代くらいの男性から以下の言葉を言われたという(<「こんな怖さ初めて」来日25年のネパール人、電車で突然受けた心ない言葉 排外的な空気に戸惑い【総裁選2025】>毎日新聞、2025年10月2日)。

 

 

<「ここは日本なのだから、海外の文化を持ち込まないで、日本に合わせなさい」>

 

 

ネパール出身の人は、自国の伝統的な帽子をかぶっていて、このような言葉を言われたという。

 

この言葉は、おかしいと思う。酷い言葉であることに加えて、恐らくは発言者にブーメランのように返ってくる内容だと思う。

 

例えば、「海外の文化を持ち込むな」ということについて、この発言をした人(恐らく日本人)の服装は、どうだったのか。

 

もし、スーツを着ていたら、即アウトだと思う。ビジネス用のスーツは、言うまでもなく、西洋から伝わったものである。もし、この発言をした人物がスーツを着ていたら、他者には文句を言っているのに、自身は海外の文化に基づく服を着ているという点で、矛盾している。

 

他にも、海外文化から影響を受けた服は、たくさんある。例えば、デニムのズボンについて、戦後にアメリカ文化の影響を受けて流行したものであり、もし上記の発言者がデニムの服を着ていたら、やはり矛盾している。

 

いずれにしても、もし上記の発言者が日本人であれば、普段から和服を着て、下駄などを履いていなければ、発言は矛盾していることになる。

 

こうしたことは、服装に限らない。

 

例えば、食事について、ラーメンは中国の麺料理を参考にして作ったものであり、カレーはインドの料理である。今ではそれぞれ日本式にアレンジされてはいるが、海外の食べ物を参考に考案されたものだということには変わりがない。

 

このように、現代の日本社会には、海外から取り入れたものが、たくさんある。このことを思えば、「海外の文化を持ち込むな」などということは言えないはずである。もし、海外から持ち込まれた文化を全て否定するのであれば、日本社会ではインターネットさえ使えなくなってしまうだろう。

 

これは日本に限らないが、昨今は人々が感情的になりやすく、極端な意見を見聞きする機会が増えてきているように思う。

 

特に、政治家が人々の感情をあおるような言動をして支持を集めようとすることがあれば、警戒すべきだと思う。個人の意見に留まらず、社会全体に影響が及んでしまう可能性がある。

 

昨今は物価の高騰等、社会には閉塞感が漂っている。しかし、困難な時こそ、冷静な議論が必要だと思う。このことは、忘れないようにしたい。

めだかの学校の歌と関連した石碑。この周囲の風景を参考にして、歌詞が作られたらしい。

 

 

 

めだかの学校における、昔気質の学生たちの会話

 

*以下、仮想の話

 

生徒A:「オウ!お前ら、元気か!」

 

生徒B:「オッス!先輩、お疲れ様です!」

 

生徒A:「貴様、何だその目つきは!大きな目で、じろじろ見やがって!」

 

生徒B:「オッス!メダカなので、目をつぶることができません!」

国際協力機構(JICA)について、海外協力隊への応募が激減しているらしい。

 

以下、関連する内容の記事を一部引用する(<海外協力隊、60年で応募者激減 JICA岐路、1900人弱に>共同通信、2025年12月30日配信)。

 

 

 

<国際協力機構(JICA)の国際協力事業「海外協力隊」が、発足から60年を迎え岐路に立っている。協力隊への応募者数が激減し、ピーク時の2割を切った。途上国の要請を満たす派遣ができない状況で、JICAは協力隊の事業継続が困難になる可能性があると危機感を強めている。

 

JICAによると、協力隊への応募者数が最大だったのは1994年度の約1万2千人。2007年度に5千人を切り、24年度は1900人弱まで落ち込んだ>

 

 

 

このように、海外協力隊の応募者は、過去と比べて大きく減少している。

 

なお、協力隊への応募者数が減少していることには、様々な要因があると思われる。

 

このことについて、例えば、今の若い世代について、海外支援への関心が薄れているのではないかと思う人がいるかもしれない。

 

しかし、それは違うと思う。協力隊への応募者が減っていることについて、個人的な意見だが、日本の経済力の低下が大きく影響しているのではないかと思う。

 

経済的に豊かだった、かつての日本であれば、例えば親世代の経済力があったので、奨学金を借りなくても卒業できた学生は多かったと思う。経済的に負担の少ない状況であれば、外国に行って支援活動に従事するという選択肢を考える人が出てきやすいと思う。

 

しかし、今は違う。奨学金を借りている学生は、2人に1人の割合となっているらしい。しかも、多くの場合、貸与型の奨学金なので、将来の返済に不安を持つ人々は多い(<若者の奨学金返済の不安をどう解消するか>大和総研、2025年5月9日)。

 

奨学金の返済が必要な状況では、海外に行って支援活動を行うという気持ちにはなりにくいと思う。しかも、就職してお金を稼ごうとしても税金の負担が大きく、近年は物価高もあり、奨学金の返済には苦労を伴うことが多いと思う。

 

このように、昨今の日本は、海外支援に関心を持ちにくい状況が続いている。

 

しかし、海外への支援は必要だと思う。もっとも、日本の財政の状況などに応じて規模の見直しは必要かもしれないが、それでも何らかの形で支援は続けるべきだと思う。

 

支援の必要性について、個人的に感じたエピソードを一つ書く。

 

筆者は、イギリスの大学院で、院生として学んでいた。そして、世界の様々な国や地域から来た人々と話をする機会があった。

 

ある日、はっきりとは覚えていないが、確か中央アジアか、その周囲の地域から来た人と話をした。

 

その国は、日本から開発の支援を受けているという。そのことについて、その人は何度も感謝の言葉を口にしていた。社交辞令ではない、心からの感謝だと思った。

 

筆者は、様々な国々から来た留学生たちと話をしていて、日本人だと自己紹介をすることによって嫌な気持ちにさせられたことは一度もなかった。その理由の一つとして、日本による海外の様々な国々への支援の好印象が考えられる。

 

そして、日本に対する好印象は、海外での日本企業の活動等にも役立っていると思う。外国への支援について、お金の点から疑問視する人がいるが、間接的には日本経済にも貢献していると思われることも記しておきたい。

 

海外への支援は、続けるべきだと思う。上記のように、規模の見直しなどは必要かもしれないが、支援自体は継続する必要があると思う。混乱している世の中で、日本の支援が少しでも人々の笑顔に貢献できることを期待している。

 

 

 

(アメブロでは個人的な内容、noteでは専門的な内容の記事を書いています。もし興味があれば、https://note.com/painmanagementもご覧ください)