先日、美容室で髪を切っていただいた。

 

これまでにも、ブログの記事で、美容室はコミュニケーションを鍛える場であることを書いてきた。

 

コミュニケーションを鍛える「修行」では、いつも上手くいくとは限らない。時には、後退を余儀なくされることもある。

 

筆者が美容室の椅子に座ると、いつも髪を切っていただいている、女性の美容師の方が声をかけてきた。

 

「今日は、どうしますか」

 

美容師の方は、笑顔である。それも、何かを期待している笑顔だ。これは、何かコメントを期待しているのだろう。

 

<え~と、どうしようかな…>

 

筆者が一瞬考えてから、以下のようなやり取りが始まった。

 

 

筆者「暑い時期なので、五厘(髪の毛を極端に短く刈り込むヘアースタイル)でお願いします」

 

美容師「それで、いいんですね?」

 

筆者「いや、冗談です。すみません…。それと、アイラッシュとネイルの手入れもお願いします(偶然、それらの掲示が目に入った)」

 

美容師「お、やるんですか?いいですよ!」

 

筆者「すみません。しなくていいです…」

 

 

このように、この日は終始押され気味であった。

 

筆者も、まだまだ修行が足りない。今後も、努力が必要である。美容室は、コミュニケーションを鍛える場であるということを、忘れないようにすべきだと思う。

 

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英国在住の作家である、ブレイディみかこ氏の本を先日読んでいて、面白い内容を見つけた。

 

以下、関連する内容を一部引用する(<転がる珠玉のように>ブレイディみかこ著、中央公論新社、2024年)。著者の息子さんが、著者に話しかけてきた場面を描いている。

 

なお、ブログの形式でも読みやすいように、行間は一行ずつ開けさせていただいた。

 

 

<「すごいよ、これ。見て」

 

と言って、自分のスマホをわたしに見せる。なんでも、昨今はやりのチャットGPTに英語でわたしのことを聞いてみたのだという。

 

「わたしは日本語のライターだから、英語で聞いてもAIが知ってるわけないじゃん」

 

余裕でそう言ったのだが、先方はわたしのことを知っていた。というか、正確に言えば知っているふりをしていた。

 

「ブレイディみかこ。英国ブライトン在住のライター」

 

そこまではいい。しかし、問題はここからだった。

 

「彼女の代表作は『Impossible Love』。英国に渡った日本人の女性と、英国人の男性が恋に落ちて結婚し、生まれ育った文化の違いや価値観の壁にぶつかり、徐々に心が離れていく歳月をリアリスティックかつユーモラスな筆致で描いた悲恋の物語」

 

わたしはそれを読んでのけぞった。

 

「なんじゃ、こりゃー」>

 

 

ブレイディみかこ氏は、こんな作品を書いていないという。しかし、チャットGPTは、「自信満々で」このような答えを書いてきた。

 

生成AIは、「嘘」をつくことがある。専門的には、ハルシネーション(幻覚)と呼ばれるらしい。これは、様々なニュースで見かける。

 

例えば、2023年5月31日の読売新聞に、海外の弁護士がチャットGPTを使って準備書面を作成したところ、実在しない多数の判例が書かれていたことが判明したという記事が掲載されていた。

 

https://ameblo.jp/sekainokesiki/entry-12812130292.html

 

生成AIは、まだまだ発展途上である。関連する様々な情報を見る限り、これは事実だと思う。

 

それなのに、昨今では、AIについて、様々な分野への応用を含めて、「役に立つ」側面を強調するようなニュースを結構見かける。

 

こういうニュースは、宣伝としての意味合いもあるのだろう、AIの便利な部分に偏った内容であることが多いと感じる。新しい技術はいつでもそうだが、実際には欠点がまだまだあるのに、そうした内容は後回しにされる。ビジネスの臭いがぷんぷんする。

 

現時点でのAIにも便利な部分はあるが、まだまだ発展途上の技術であるということは意識すべきだと思う。そうでなければ、ある日、とんでもない問題に巻き込まれてしまう可能性があると思う。機械はあくまでも道具であり、重要な部分では、やはり人間の判断が鍵となることは、これからも変わらないだろう。

 

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あれは、いつの頃だったろう。もしかしたら、イギリスにいた時だったかもしれない。

 

はっきりとは覚えていないが、インターネットのニュース(日本のウエブサイト)で、線維筋痛症か、あるいは他の痛みと関連する状態で、痛みがある人に認知機能の低下が見られるということが書かれていたと思う。

 

そのことについて、日本の専門家も不思議に思っているという内容だったと思うが、そのニュースを見た時、「この人たちは、fibrofogを知らないのかな」と思った。

 

fibrofogとは、線維筋痛症(fibromyalgia)と関連する認知機能の機能不全であり、専門誌の論文だけでなく、医療従事者以外の方々に向けたウエブサイト(英語)でも使われている用語である。

 

線維筋痛症に限らず、痛みは認知機能に悪影響を及ぼす可能性が指摘されている。

 

痛みがあると、そこに注意が向く。痛み(急性痛)は自分の身を守るための反応の一つであり、体のどこかに怪我などの異常が発生した場合、痛みが発生することでその部位に注意を惹きつけて、そこを保護する行動を促すという役割がある。

 

短期間であれば、このような特徴は回復のために役に立つ。

 

しかし、痛みがある状態が長期間続くと、認知機能に悪影響が現れる可能性がある。人間が一度に注意を向けることができる対象の範囲には限りがあり、痛みがあるとそちらに多くの注意が向いてしまうので、他の対象に向けることができる注意の量が減る。そうすると、勉強や仕事に集中しにくい、ぼうっとしてしまうといった状態が発生する可能性がある。

 

そして、痛みによる認知機能への悪影響について、認知症との関連についても示唆されている。

 

例えば、痛みと認知機能の関係について、高齢者を対象とした縦断研究により、長期化している痛み(中等度以上の痛みを頻繁に感じる状況)が認知機能の低下の加速化や認知症を示唆する確率の増加と関連していたことが示されている(Whitlock EL, et al. Association between persistent pain and memory decline and dementia in a longitudinal cohort of elders. JAMA Intern Med 2017; 177(8): 1146-1153)。

 

痛みと認知機能の低下との関係については、今後更なる研究が求められるが、このような関係について、多くの医療従事者に知ってほしいと思う。

 

例えば、高齢者のケアに関わっている人々は、痛みと認知機能の低下の関係について、知っておくべきだと思う。痛みを改善することは生活の質の改善等に繋がるだけでなく、認知機能にも良い影響を及ぼす可能性がある。痛みのマネジメントの重要性がもっと広まってほしいと思う。

 

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