ボクらは本質的な変化を招じいれられないからこそ・・・
内省するということ
内省することが出来ないのか・・・
それとも内省することがないから本質的に変わらないのか?
卵が先かニワトリが先か・・・みたいなハナシだけど、結論は至極カンタンだ。
ボクらには
その気がないから内省もないし本質的な変化もない
ということ。
内省などしても仕方ない、邪魔くさい、骨が折れる、面白くないと思っているからこそ、その気にもならないし、やる気も起きないんだね。その結果として本質的な変化もなし、ただただ同じような人生を同じようなやり方で
惰性で回していく存在
なんだ。
そうだからこそ、ボクらは次第に窒息していき、そんなボクらの集積である社会そのものも閉塞感で一杯になるんだよね。そんな状態になれば、ボクらの取り得る選択肢は決まってくる。
妥協と打算と現状肯定
ほとんどがそんなことだ。
そして、その根底にあるのがボクらの本質、
楽が良い 諦めるしかない それでも素敵なジブン
ということだね。
ホントに救いようのない存在じゃないか。
このことはサッと流して良いはずはない。
そうだよね。