第60の解体ー悟り | 世界解体

世界解体

知らないことは ボクらの道を狭くする
情報の海と訣別し 本当に必要な知識を今 ものにするんだ
世界解体は その力強い 道連れだ!

仏教のところでも触れたけど、こいつは先に片付けておこう。

悟り

神妙に解体していこう。

辞書によると「迷いを去って真理を知ること またその真理」とあ
る。分かりやすくすれば、


「道分からず、心も定まらずでフラフラすることなく、
 変わらない、行うべき正しい道、その理屈を知ること」

そんな感じかな。つまり「ワケが分かった」ということだ。

ここが重要だ。

「ワケが分かった=悟りを得た」と言ってるのは誰なの?
自分自身の場合もあるし、周りのヒトの場合も、後代のヒトの場合
もある。

自分の場合は、主観的な判断なのでアテにならない。
何が分かったのか? その人の悟りが万人の悟りであるとは限らない。
そりゃそうだよね。

周りのヒト、後代のヒトの場合はどうだろう?
「何かあのお方は他とは違う。人生を悟られたお方なのでは、きっと
そうだ。」みたいな感じで他を規定することは有効かな? 自分から
言うよりはマシなように思えるかもしれないけど、これとて、規定す
るヒトの主観だからアテにはならない。本人からすれば、「えっ、俺
悟ってる?」みたいな感じかもよ。

いずれにしても
「悟り」とは、かなり不確かなアヤシイものだと思わない?
「そうして、ワシは大いなる悟りを得たのじゃ。」なんて言われたら、
きっと、「このヒトすこしオカシイ!」と思うんじゃない。
「そして、教祖様はその日に悟られたんです。」と言われても、
「このヒト、かなりキテル!」と思うよね。

どうしてボクらはそう思うのか?
それはとてもシンプルな理由からだ。
ボクらは感づいてる、意識してるかしてないかに関わらず、

「悟り」なんてモノはない。

ヒトよりも深い理解はある。迷いの少ない行動もある。
遂に「分かった」なんて思うこともある。しかし、


それが真理と断じることは出来ないよ。

それこそが、

ニンゲンが行くべき正しい道だなんて決めれない。

今の世界で、もっとも真理(?)に近いのはどんなヒトだろう?
キリスト教徒? 仏教徒? イスラム教徒? それとも科学者?
真理はその人によって違う。科学者の真理と、哲学者の真理、宗教者
の真理、それぞれみ~んな違う。


こんなもの真理とは言えない。

そう思うよね?