【死ぬときに後悔しない方法】(下)勘三郎さんは「かっこいい最期」 | ~たけし、タモリも…「1日1食」で熟睡&疲れナシ~

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さあ、元気に歳でもとりますか!それに女性は明日の美しさを迎えにいこう。

「後悔のない人生」の背景には、その人の生きざまや、反対に「死にざま」というものも関係すると思います。今回は私の敬愛する先輩のエピソードから、「かっこいい最期」についてお話ししましょう。

 その先輩とは、昨年末に亡くなった歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎さんです。勘三郎さんと私は、中学・高校時代の先輩後輩の間柄でした。

卒業後、長いブランクはありましたが、勘三郎さんが病気になって、今度は患者と医師としての交流が復活していました。

 勘三郎さんの逝去は新聞の号外が出るほどの衝撃的なニュースでしたから、報道をご覧になった方も多いと思います。勘三郎さんは食道がんを患い、術後に肺炎を発症。

その後「ARDS(急性呼吸逼迫症候群)」という、身体に酸素を送れない重篤な状態になり、さらに肺線維症にまで悪化。食道がんの手術から半年経たないうちに不帰の人となりました。

 肺線維症になったときは、ふたりのお子さんからの肺移植が検討され始めていました。ふたりのお子さんとは、同じく歌舞伎役者の中村勘九郎さん、七之助さん兄弟のことです。

 将来を期待される、若きふたりからの肺移植。勘九郎さん、七之助さんの手術にも当然リスクがともない、また肺活量も低下します。

でもふたりは、「父親が生きているだけでいいから、あげる」と、名乗りを上げました。その時、勘三郎さんはすでに人工呼吸器につながれていて、声を発することができませんでした。

 そして移植準備が着々と進むなか、勘三郎さんは脳出血を起こし急逝。その知らせを聞いた私は、呆然とするのと同時に、ふと不思議な思いも抱いたのです。

 「のりさん(勘三郎さんの本名)は自分から逝ってしまった」と。子どもたちを傷つけるくらいなら、ふたりの役者生命を短くするくらいなら、「もういいよ」--。

勘三郎さんはそう思って、自ら潔く旅立ったのではないでしょうか。そんなことが人間に可能なのか、医者である私にもわかりません。

でも、誤解を恐れずにあえて言うとしたら、「かっこいい」。そう思わせる見事な最期だったと思います。あれだけ復帰に執念を燃やしていた人が、家族が肺移植という一か八かの延命治療に進もうとしたら「そんなことはしないでくれ」と潔く大見得を切って逝ってしまったのですから。

 偉大な先輩の死を通じて私が確信したのは、かっこいい生き方をした人は、死に方もかっこいいということです。私は改めて、自分だったらどういう死を迎えたいのかを真剣に考え、希望や意志を家族に伝えておくことの大切さを感じています。

■川嶋朗(かわしま・あきら) 1957年東京都生まれ。
東京女子医科大学附属青山自然医療研究所クリニック所長、准教授、医学博士。北海道大学医学部卒業後、東京女子医科大学入局。ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院などを経て2004年から現職。漢方をはじめとするさまざまな代替、伝統医療を取り入れ、西洋近代医学と統合した医療を担う。

「よりよく生きる」「悔いのない、満足のいく人生を送る」ための心得として、「自分の理想的な死とは何か」を考え、QOD(クオリティ・オブ・デス=死の質)を充実させることを提案している。西洋医学での専門は腎臓病、膠原病、高血圧など。日本統合医療学会理事、日本抗加齢医学会評議員。最新刊「医者が教える 人が死ぬときに後悔する34のリスト」(アスコム刊)が好評発売中。