命をコントロールしてまで、女は幸せになるべきか? 医師の私が不妊治療をやめた理由 | ~たけし、タモリも…「1日1食」で熟睡&疲れナシ~

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不妊治療を受ける女性が急増している昨今。とはいえ、いざ治療を始めてみると、女性の心身への負担、そして経済的な負担は予想以上に大きく、決して容易な道ではありません。この多大な労力は、はたして報われるのか。

ここまで無理をして、「命」をコントロールすべきなのか——。そんな思いや考えと向き合いながら不妊治療に取り組み、そして最終的に治療をやめる決断をした、ある女性医師Mさん(35歳)のお話を伺ってきました。

「子供のいる家族像しか想像できない」と夫に言われ

彼女が不妊治療を始めたのは、32歳のころ。結婚3年目のことでした。

「女性として生まれたからには子どもは欲しいと思っていたし、夫も子どものいる家族像しか思い描けないと言っていました」

しかし、専門外とはいえ医者という職業柄、なんとなく「自分の妊娠機能は弱いかもしれない(高温期が短い)」という自覚があった。そこでMさんは、ある日誰にも相談せず「不妊検査に行ってみよう」と決断します。

その後、夫婦ともに検査を受けることになリますが、その病院では「双方に不妊の原因となるあきらかな異常はない」と言われ、一般的なタイミング療法を行うことに。

 

異常がないと言いつつも、詳しい説明がないまま最初の治療(ホルモン注射)が開始したそうです。

そのころのMさんは、深夜も土日もないほどの激務でした。かつ、その産婦人科の治療スタイルに疑問を感じる部分も多かったため、3ヶ月ほどでフェードアウト。

 

しかしながら、「この勤務状況では、治療は絶対にできない」と気づくきっかけにはなったため、しばらくして負担の少ない役職へ異動。

その後、別のクリニックにて信頼できる女性医師に巡り会い、2度目の本格的な治療に取り組むようになりました。

度重なる困難に、「もう治療をやめよう」

不妊治療は、患者の反応や結果を見ながら、「(A)タイミング法→(B)人工授精→(C)体外受精(顕微受精など)」という順番で進めていくのが一般的。

 

2度目の病院では、しっかり説明を受けたうえで、まずは(A)タイミング療法を半年近く行ったところ、その過程でMさんの卵巣機能が低いことがわかってきたそうです。

ホルモン注射の反応が悪い、卵子がたくさん育たない、卵管が狭い、卵管采のピックアップ障害……等々の可能性も出てきたため、(B)の人工授精を飛ばして、(C)の体外受精へステップアップ。

 

ホルモン注射を打ち、よい卵子が育てば、卵子を採り顕微鏡での受精を行ないます。しかしその過程には、卵子がうまく育ってこない、採取前に排卵が起こってしまう、

うまく卵細胞が分割していかない、子宮にうまく着床しない……といった困難が待ち受けます。2年間強の治療期間のなかで、実際に顕微授精にまで持ち込めたのは、3回きり。

 

その3回目の顕微授精がうまくいかず、その後2回続けて採卵に持ち込めなかったときに、彼女は「もう治療はやめよう」という決断をします。

医師だからこそ「治療に100%はない」という葛藤

なぜ、治療をやめたのか。それは「治療に“100%”はない」という、医師ならではの倫理観も影響していたそうです。熱心に治療を受けながらも、同時に「成果が出なかったときにどうするか」を冷静に考えてしまう。

 

好きな仕事をセーブし、治療のために残りの30代すべてを捧げて、結果が出なかったとき、自分は人生を後悔しないのか? 彼女の答えは「きっと後悔してしまう」でした。

もともと、自然の摂理に逆らうまでの強引な医療に対しては、疑問を感じていたMさん。結果が出ず、Mさんは担当医のやり方を批判するような同僚の意見にも、「そもそも人間がコントロールできる部分じゃないから、仕方がないよ」と説得している自分に気付きます。

「私は心からこの治療に納得しているのか?」

「最終的に治療の成果が出なかったとき、私は何もない自分になるのではないか?」

治療のために仕事をセーブし、時間の余裕ができたことも、彼女の考えを大きく変えていきます。以前から興味があった「終末期医療」や「死生学」のセミナーに参加したり、週に一度、訪問医療を手伝ったりするうちに、

誰にも等しく訪れる「死」から限りある「生」の時間、そして「人の力ででき得ることの限界」を見つめ直すようになり、「私の人生で一番大切なものは、子どもなのだろうか」「子どものいない人生が自分には与えられているのかも」「治療を受けてもなかなか授からない命がある。

自分がこの世に生を受けて生まれていることは、本当にすごい奇跡なのだな」「自分が生きている間に、何か他にできることはないのだろうか?」などと考え始めます。

次第に、妊娠力の弱い自分の身体もありのまま受け入れてみよう、この現実を上手に心で“消化”していきたい……と感じるように。子どもを持てる可能性が少なくなったとしても、不妊治療はやめて、自然の流れに任せよう、と思うに至ったそうです。

治療経験が後押ししてくれた「人生の転機」

治療の2年間を経て、彼女はもう1つ大きな決断をします。それは「今の病院を辞めて、ずっと興味があった『終末期医療』にしっかり取り組んでみよう!」ということ。

「人生は本当に一度きりなのだから」

皮肉にも、不妊治療の経験が進路変更をする不安や迷いをぐっと後押してくれたそうです。医師になって10年目の、大きな決断でした。再出発に選んだのは、四国にあるクリニック。早くから終末期の患者への訪問医療に、熱意と信念を持って取り組んでいたクリニックです。

「実際に病院を見てピンと来たら、ここで修行をさせてもらおう」

訪問してすぐに、彼女は「ここで働きたい!」と決意。2年間、単身赴任をしてそこでノウハウを得る。その後、関西の夫のもとに戻って訪問医療のクリニックを開業したい―。そんな夢を描くようになりました。

ここまでが、彼女の不妊治療前後のストーリー。後編では、夫や家族の反応、お金の問題や予想以上に辛かった点など、不妊治療を取り巻く環境についてご紹介します。