脳卒中を患ったセレブたち:マイケル・ジョーダンからシャロン・ストーンまで | ~たけし、タモリも…「1日1食」で熟睡&疲れナシ~

~たけし、タモリも…「1日1食」で熟睡&疲れナシ~

『無敵の「1日1食」 疲れ知らずで頭が冴える!』
さあ、元気に歳でもとりますか!それに女性は明日の美しさを迎えにいこう。

命を失う危険があったデミ・ロヴァート

アメリカの女優で歌手のデミ・ロヴァートは、過剰な薬物摂取の末、心臓発作と3回の脳卒中を経験した。2018年を通して入院、危うく命を落とすところだった。当時彼女はまだ26歳だった。

後遺症に悩まされる

2018年、デミ・ロヴァートは自らの経験をもとにしたドキュメンタリー『デミ・ロヴァート:悪魔と踊る』の中で、こう語った。「医者達にあと5分か10分しか生きられないだろうといわれた」「脳の損傷は残り、今もその後遺症と戦っている。視界に死角があるので運転ができず、長い時間文字を読むこともできない」

病気を克服

脳卒中は偶然おこったわけではない。病気を克服したロヴァートは自らの経験を振り返り、「この経験に感謝すると同時に、リハビリに大きな苦労をする必要がなかったことにも感謝している。今の自分をとても誇りに思う」と語っている。脳卒中に見舞われたアスリート、マイケル・ジョンソン

200メートルと400メートルの陸上競技で世界記録保持者となった伝説のアメリカ人アスリートは、2018年9月初頭に一過性脳虚血発作(小さな脳卒中)を患った。一時的に身体の様々な部分が麻痺し、リハビリを余儀なくされた。

最初から学びなおす

「1か月前の今日、私は脳卒中になった」マイケル・ジョンソンはこうツイートした。「歩くこともできなかった。回復の望みがあるかどうか、どこまで回復できるのかは今はわからないと言われた。大変な日々だったが完全に回復できた。歩き方を学びなおし、今はスピードトレーニングを行っている。」

脳卒中を克服したジェーン・バーキン

英仏にまたがり歌手そして女優として活躍するジェーン・バーキンは、2021年に74歳で軽い脳卒中を発症した。そのためフランスで開催された2つの映画祭への参加をキャンセルせざるを得なかった。

偉大な女優

幸いバーキンの脳卒中は軽症で、報道陣は彼女が元気であることを確認。家族の代理人は、「療養期を静かに見守ってほしいと家族は願っています。そしてジェーンは皆さんに再び会えることを楽しみにしています」と声明を発表した。

人生最大の恐怖

ヘイリー・ビーバー(モデルで女優、夫はジャスティン・ビーバーで父親は俳優のスティーブン・ボールドウィン)は、わずか25歳の時に脳卒中を患った。幸い、数時間の入院で帰宅を許されて自宅療養で回復することができた。脳卒中(通常は脳の静脈や動脈の破裂によって起きるる)はしばしば起こることであり、かなり多くの有名人たちがこうした恐怖を味わっている。それでは脳卒中を経験したセレブを見ていこう。

『ゲーム・オブ・スローンズ』制作中に脳卒中を起こしたエミリア・クラーク

大ヒット作『ゲーム・オブ・スローンズ』の主演女優は本作撮影中に2度も脳動脈瘤が見つかった。最初は2011年にシーズン1の撮影を終えた24歳の時で、エミリア・クラークはデナーリス・ターガリエン役を務めていたときに強いストレスに苦しみ、パーソナルトレーナーを頼らなければならないほどだった。

強烈な痛み

『ニューヨーカー』に掲載された記事『私の人生の戦い』で、シリーズの稽古中に脳がゴムで締め付けられているかのように強烈な痛みを感じた、と語っている。休憩をもらいなんとか楽屋までたどり着いたが、トイレに入るなり膝から崩れ落ちて激しく嘔吐。痛みはどんどんひどくなったという。

手術は成功

最初の発作に続き、2013年にも医師に動脈瘤があると診断された。エミリアは27歳でブロードウェイで『ティファニーで朝食を』に出演中だったが、動脈瘤を取り除く手術を決断。後に「この物語の終わりと、次のエピソードの始まりを見ることができる。今ここにいられること嬉しい」としている。

失語症に苦しむ

『ニューヨーカー』誌で、回復中には失語症に苦しみ自分のフルネームも思い出せずに落ち込んでいたことを明かした。「女優として自分の役を覚えておく必要があるのに、自分の名前すら覚えていなかったの」

シャロン・ストーンも脳卒中を克服

伝説の女優シャロン・ストーンは、2001年、43歳の時に脳卒中を経験した。著書『The Beauty of Living Twice』の中で、左大脳動脈に完全な破裂があり何日も出血をしていたと明らかにしている。

精神的に生まれ変わった

自伝を通して「それから人生感が変わり、よりスピリチュアルになった」とする。歩く、話す、読む、書くといったことを、いかにして最初から学び直さなければならなかったのかについても詳しく言及。そうした努力の結果、シャロン・ストーンは見事な回復を遂げた。

脳卒中を克服したヒュー・ヘフナー

『プレイボーイ』の創設者であるヒュー・ヘフナーも59歳だった1985年に脳卒中を患った。人生の一大事ではあったが見事に回復し、復帰することができた。

長寿をまっとう

後年、82歳になったヒュー・ヘフナーは『ニューヨークタイムズ』にこう語っている:「1985年に脳卒中を起こした。もしそこで死んでいたら、私の人生は平凡なものだったに違いない。しかし生き残り、再婚し、人生はまだこれからだということに気づいたんだ」

ひどい頭痛を経験したフランキー・ムニッズ

『マルコムin the Middle』シリーズで知られるフランキー・ムニッズは、2012年11月30日に軽い脳卒中を患ったことをツイッターを通じて明らかにした。ウェブサイトTMZによると、自らの話し方に違和感を感じたほか奇妙な言動を不審に思い、アリゾナ州の病院に入院したそう。『ピープル』へのインタビューでは「頭を殴られたような、想像を絶する痛みを感じた。そして何も見えなかった」としている。

二度目の脳卒中を公表

一過性脳虚血と診断された軽度の脳卒中から1年も経たないうちに、フランキー・ムニッズは2回目の脳卒中を発症した。ツイッターアカウントを通じて報告している:「あの日からほぼ一年、再び脳卒中を発症した。これが最後であることを願っている。ほんとうに残念だ。」

脳卒中に襲われたジャン=ポール・ベルモンド

ジャン=ポール・ベルモンドは2001年、68歳の時に休暇先のコルシカ島で脳卒中を起こした。その結果、顔面を含む体の右側が麻痺してしまった。

幸いにも回復

脳卒中により言語障害を起こしたベルモンドは、6か月間スクリーンの世界から遠ざからなけれならなかった。幸いなことに、後遺症は残ったものの無事に回復することができた。「スクリーンの外では私もスーパーマンじゃない。皆さんの教訓になれば何よりです」、2009年の『ニューヨークタイムズ』のインタビューでそう語った。2021年に逝去。

脳卒中で死去したルーク・ペリー

『ビバリーヒルズ青春白書』のディラン役で人気を博したルーク・ペリーは、2019年に発症した脳卒中を克服することができなかった。ロサンゼルスのシャーマン・オークス地区にある自宅で重度の脳卒中を患い、バーバンクのセントジョセフ病院に緊急搬送されたのだ。

助からなかった命

医師は数日間、ルーク・ペリーに鎮静剤を投与して様子を見たが、結局命を救うことはできず、52歳の若さでこの世を去った。代理人であるアーノルド・ロビンソンは、この厳しい試練を通じ、子供たち、母親、妻、友人たちが彼を支えたとメディアに語っている。

脳卒中で死去したゲーリー・コールマン

『アーノルド坊やは人気者』シリーズで主人公アーノルドを演じて名声を博した「神童」は、2010年に43歳でこの世を去った。脳出血によりユタ州の病院に運び込まれ、入院から数日で重体になってしまったのだ。

栄光の陰で

コールマンの人生は、常に健康に影響されていた。腎臓障害による小人症のためいじめられつらい思いをしたが、腎臓病ではなく脳卒中で命を落とした。しかもこの年は、脳梗塞で2回も入院を余儀なくされた年だった。

脳血栓を起こしたデンマークのヨアキム王子

デンマークのマルグレーテ2世女王の末息子であるヨアキム王子は、2021年に妻のマリー王女に命を救われたことを明らかにした。夏の数か月を過ごしていた南フランスでの夕食会で、脳血栓を起こしたのだ。幸い、手術を受けた後に回復し後遺症もなかった。

病に向き合う

ヨアキム王子はデンマークのテレビ局DRのインタビューで、「私の身体だけでなく妻や子供、家族全体にも影響を及ぼした。誰にとっても大変な出来事だが、私は家族のおかげで乗り越えられた」と語った。さらに「すべててを受け入れることにしたし、今後についても心配することはない。生きている今を楽しむむべき。山の頂の向こうにはいつだって素晴らしい何かがあるのだから、つねに前を向いていきたい」とした。

ステージ上で脳卒中を起こしたグスタボ・セラティ

2010年5月16日、ラテンアメリカンロック界に絶大な影響力を誇るアルゼンチンの伝説的ミュージシャン、グスタボ・セラティは、ベネズエラの首都カラカスでのコンサート中に倒れた。左内頸動脈の閉塞による脳卒中だと診断された。

二度と目が覚めることはなかった

グスタボ・セラティは人工呼吸器のおかげで4年間生きながらえたが、2014年9月4日、56歳の若さでこの世を去った。すべては脳卒中を原因とする悲劇だった。脳が腫れて頭蓋骨を圧迫していたため緊急手術を受けたが、その後昏睡状態に陥り、二度と目を覚ますことはなかった。

脳卒中になった女王、モンセラート・カバリェ

ロシアツアー中に軽度の脳卒中に襲われたソプラノ歌手、モンセラート・カバリェ。しかし、これが原因で眩暈を起こして転倒、上腕骨を骨折し、バルセロナにあるサン・パウ病院の集中治療室(ICU)に入院しなければならなかった。2012年、79歳の時のことだ。

みごと復帰

脳卒中により当面の活動をすべてキャンセルしなければならなくなったが、わずか1か月後にはチャリティーコンサート『Voice for Hope』でステージへの復帰を果たした。

脳卒中を経験したもう一人のアスリート、アルベルト・コンタドール

ツール・ド・フランスで2回の優勝を果たしたスペイン出身の自転車ロードレーサー、アルベルト・コンタドール。2004年、このフランス大会に向けて準備している最中に、21歳の若さで脳卒中を起こした。「ブエルタ・デ・アストゥリアス」でメイン集団と共に走っていたとき、視覚障害により転倒したのだ。倒れた地面の上で痙攣を起こしてオビエドの病院に緊急搬送され、そこで脳出血が確認された。

危険な状態を脱した

コンタドールが出血を引き起こしたのは、先天性脳奇形が原因だと診断された。形成されていた血栓を取り除くために緊急手術が行われるなど迅速な対応のおかげで一命をとりとめ、早期に回復することができた。

マリーン・ファヴェーラ:脳卒中を生き延びた女優

メキシコの女優であるマリーン・ファヴェーラは、ジャーナリストのマラ・パトリシア・カスタニェーダとのインタビューで、脳卒中の為に、3週間集中治療室で過ごした日々を語った。彼女はメキシコからマイアミへのフライト中に脳卒中を起こし、死の危機に瀕した。集中治療室に入院し、脳外科手術を受けることを余儀なくされた。