セカンド・パートナーと不倫はどこが違うのか「肉体関係がないから大丈夫」という言い訳が通じないワケ | ~たけし、タモリも…「1日1食」で熟睡&疲れナシ~

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既婚者である人気YouTuberのあやなんさんが「セカンド・パートナー」の存在を告白し、話題を集めている。

 

フリージャーナリストの秋山謙一郎さんは「既婚男女の『友達以上、不倫未満』の関係がこの10年で広まっている。彼らは『肉体関係がないから不倫ではない』と言うが、こうした主張は今後、通じなくなるだろう」という――。

「東海オンエア」妻のセカパ告白騒動

「東海オンエア」のメンバー・しばゆー氏の妻で、人気YouTuberのあやなん氏がセカンド・パートナーの存在を明かした。これにネット民が反応。炎上したことは、今なお記憶に新しい。

 

既婚者が配偶者以外の異性とプラトニックな関係を保ちつつ、ときに配偶者よりも深い心の絆を持つ特定の交際相手――それが「セカンド・パートナー」だ。決して体の関係を持つことはない。そこが不倫との違いである。

 

「友達以上、不倫未満」の関係といえばわかりやすいだろうか。

 

ときに既婚の身にある男女が、心の隙間という海に彷徨った際の「浮輪」として、この関係が機能している。初めて、この不思議な関係を耳にしたのは、今から10年くらい前のことだ。

 

経済畑の物書きの端くれである私が、取材と称して、懇意のとある金融マン氏と大阪・北浜の小料理屋で杯を重ねていたときのことである。

「“sincerely(心から、本当に)”な関係でいられる」

大人の男ふたり、酒席での話題といえば、大抵はカネか人の悪口か女の話へと行き着く。この日の話題は、女性にまつわることだった。「実は長年ずっと想っている女性がいる。

 

もっとも俺も向こうも互いに既婚者だ。もちろん越えてはいけない一線は越えていない。だからこそ続いているのかもしれない――」たしか、こんな話の切り出し方だった。黙って聞いていると金融マン氏は、問わず語りにこう続ける。

 

「今となればこの関係は互いの配偶者よりも深い。でも家庭を壊してまで一緒になりたいとか、そういう感情はない。今はもちろん、これからもきっと体の関係を持つことはないだろう。

 

むしろ、その一線を越えることはないとわかっているからこそ、とても『sincerely(心から、本当に)』な関係でいられると思う」最初、この話を聞いたときわが耳を疑った。長年、フリーの記者として生きてきた私である。

 

その性根からゲスの極みだ。既婚者といえども男と女である。プラトニックな関係のままで大人の恋愛などはたして成り立つものなのだろうか。大きな疑問が残った。

耳を疑うような「大人の恋愛」の実態

疑問に思ったこと、それを調べてカネにする。これが物書きの特権だ。この疑問を抱いて以来、折に触れて、私の周囲にいる友人、知人ら何人かにこれを問いとしてぶつけてみた。すると予想だにしない答えが寄せられた。

 

ある既婚男性曰く、「配偶者ではない異性。だからこそ心のうちを素直に明かせる」という。ある既婚女性に至っては、「配偶者だと、時に構えたり、取りつくろったりする。だから配偶者以外の異性についつい甘えてしまう」と、配偶者とは別の異性の存在があることを明かした。

 

こうした声を受けて、ぼつぼつと取材を進めていくと、既婚の身にある男女のうち、配偶者とは別に、肉体関係こそないものの心の奥底で深い繋がりを持つ異性――すなわち「セカンド・パートナー」とも言うべき存在がいる人が意外にも多く、驚きを禁じ得なかった。

 

彼、彼女たちを見ていると、どうやら心の内ではみずからの配偶者よりもその位置づけは高いところに置かれている。それだけに、関係性は余計に不倫でも浮気でもなく、純愛というか、それこそ先でも触れたシンシアリーなものと捉えていた。

強面の50代男性が発した「少女漫画のようなセリフ」

「体の関係を超えた深い絆――だからこそプラトニックなままで、ずっと、それこそ生涯続く関係でいられると思う」今から7年くらい前、当時、50歳も半ばを超えた男性の言葉である。

 

日常ではやり手の新聞記者という強面を崩して、まるで少女漫画のセリフのような言葉を臆面もなく吐く様を今でも時折思い出す。それだけインパクトが強かったと同時に、彼の本気というか真剣な気持ち、まさにシンシアリーな彼の想いが伝わってきたからだ。

 

いくら所詮は男と女といっても、やはり既婚者であり大人である。それまでに背負ってきた人生、仕事でのキャリア、家庭人としての責任は免れない。

 

みずからの想いに突っ走り一線を越え、たったの一度でも体の関係を持ったとなれば、これが露呈したときの代償は計り知れないものがある――。心なしか、こんな言葉にはならない彼の胸の内が透けてみえた気がした。

不倫=悪が鮮明化した「不倫は文化」事件

この頃には、令和も5年が過ぎようとしている今と同じく、社会は不倫をした者に厳しくなっていた。これが発覚した者はまるで殺人や詐欺、巨額の横領といった大きな刑事事件を起こした人と変わらないかのような言いようをされることがもはや当たり前となっていた。

 

そもそも内輪の話である不倫が社会的な悪とされる風潮が鮮明化してきたのは、1996年の「不倫は文化」事件がきっかけだろう。この言葉は、ある女優との不倫交際報道を契機とする俳優・石田純一氏の言葉によるとされてきたが、のちに石田氏は発言そのものを否定している。

 

この人気俳優による発言とされた言葉は、あまりにも大きなインパクトを世間に与えた。大バッシングを浴びた石田氏は、出演番組の降板のみならず、出演依頼のオファーは途絶え、しばらくの間、表舞台からその姿を消した。

 

ときはバブル崩壊後、のちに「失われた10年」とも「20年」とも言われる出口のみえない不況期の入り口に立った頃である。

日本人の多くは「バブルの恩恵」を受けていない

ほんの数年前までバブルの好景気に沸き、なかにはその恩恵を受けた者もいた。コンプライアンスの厳しい今では考えられないが、一介のサラリーマン男性が既婚と未婚を問わず女性を連れて夜の街を闊歩(かっぽ)する。

 

もちろん、その財布は勤め先企業だ。私的な会食や遊び事も「経費で落とす」という不心得者もいた。女性もまたこれを当然のこととして受けとめていた時代である。

 

もっとも、浮かれた世相、バブル経済のご相伴にあずかった者は、この頃といえども数は実際にはごくわずかである。だからこそ時代の徒花として目立っただけに過ぎない。

 

そして景気は好況から不況へ。世相は一変する。企業も人も財布の紐を締めてきた。不況である。

 

カネ廻りは皆悪い。世の人々の鬱憤(うっぷん)が溜まりに溜まっていたタイミングで飛び込んできたニュースが、「不倫は文化」発言である。

 

人々、とりわけバブルの恩恵にもあずかれず、既婚の身で異性と楽しく親しく交際などできなかった大勢の人たちにとって、バブル期、トレンディ俳優として活躍していた石田氏の艶聞は、格好のネタとして捉えられたことは今でも察しのつくところだ。

「不倫で職を失う」ほどの時代になった

こうして世間の声により芸能活動を絶たれた石田氏の姿に人々は留飲を下げた。同時に「不倫は職を失う」こともあり得るというその代償と怖さが人々の脳裏に植え付けられる結果となった。

 

不倫は悪という風潮が今や世間の常識である。とはいえ、いくら既婚の身であるにせよ、仕事や子どもの学校関連、趣味、習いごとといったコミュニティで誰かしら異性との接点はあるものだ。そこで縁した異性と懇意になったとしても不思議ではないだろう。

 

問題は懇意が好意へ変わったときである。既婚の身ではあっても男と女だ。互いに高ぶった気持ちを体と体で交わす……となると、今の時代、その代償はあまりにも大きすぎる。

 

先でも触れた1996年の「不倫は文化」騒動以降、社会のIT化は著しく進んだ。ごく普通に暮らす一般の人でも、SNSやネット掲示板といった場への書き込みひとつで、事の大小を問わず、何かしらの不正や不満を告発することも、されることも可能な社会がやってきた。

 

今やパソコンどころかスマートフォンひとつあれば、プロのメディアである新聞、テレビ、出版社といった各社に情報提供できる時代である。その気になれば誰もが世論を動かせる時代だ。

セカンド・パートナーは「妥協の産物」

時代性を反映してか、メディアが不倫劇を取り上げる際、その主役となる者の属性が変わってきた。かつては話題性の高い芸能人か公職にある政治家というのが通り相場だったが、今では、たとえマネジメントサイドの立場にあるとはいえ、大手企業の役員であったり、公務員であったりする。ごく普通に暮らしている人がメディアで不倫を糾弾される時代である。

 

こうした世相から、社会的立場を問わず不倫をするには大変なリスクを背負うことは誰もがわかっている。しかし長年、人生の荒波を渡ってきた大人ならわかるはずだ。

 

異性への好意というものはみずからが意図していなくても抱いてしまうところがある。つまり自分の意思でコントロールできないものだ。

 

それでもひと度抱いた好意を断ち切れればいい。それができないとなると誰からも不倫といわれないエクスキューズが必要だ。

 

そこで消去法的に現実的な解決策として浮かび上がったのが、互いに既婚の立場を崩さずプラトニックなままで深い交際をするセカンド・パートナーという関係であろう。

 

大人の男女間だからこそ成り立つ妥協の産物といったところか。

セカパの男女関係は3つのパターンに分類できる

あの手この手で伝手を辿り、セカンド・パートナーの関係にある男女から話を聞いた。すると彼、彼女らの関係には、概ね、三つの型というかパターンがあることがわかった。

 

まずひとつは「不倫願望卒業群」だ。これは、もし出会ったのが互いに独身同士であればすぐにでも体の関係に至ったであろう。

 

しかし既婚の身という立場上の制約もある。だから体の関係は持てない。やがて付き合いは長くなりいつしか体の関係云々は必要なくなったというものである。

 

また、特に男性の場合、年齢が上がれば上がるほど性的機能の衰えから女性を満足させる自信がない。ゆえにあえて体の関係を持たず、そのままそれを持つ機会を逸したというケースも少なくない。

 

ふたつ目は、そもそもの出会いから体の関係を持つことを目的としない関係だった人たちである。

 

これは幼馴染や学生時代からの「異性の親友」といった関係が長く続き、気がつけば配偶者よりも深い関係にあるというものだ。この関係における“正統派”といったところか。

 

そして三つ目は、意外にも「特殊性癖の嗜好(しこう)」を持つ人。とりわけSM嗜好の人たちである。その界隈の人たちによると、行為で必ずしも挿入を求めないという。

精神的なつながり=「不倫ではない」という主張

SM界隈で相手が配偶者以外の異性だという人たちの多くは、「あくまでもSMという精神世界での相手」「挿入を前提とせず関係性を互いに求めるもの」として、この関係は不倫には当たらないと考えている節があった。

 

もっとも何人かの弁護士の声を総合すると、離婚訴訟や調停の場で、SMは「疑似性的行為」として認められることもあるという。

 

そのため、「SM関係だから不倫ではない」という主張は、これまではさておき今後は通らない可能性が高いとみていいだろう。

 

SM嗜好の人たちとほぼ同類といえる関係には、「(習い事などの)講師と生徒」「占い師とクライアント」といったものがある。

 

幼馴染や異性の親友といった関係性以上に、より互いの立場が鮮明化していることから、体の関係を云々する関係に最初からなく、ただただ互いに精神的な繋がりを深めていく関係である。

 

こうした取材の成果を世に問うたのが、拙著『友達以上、不倫未満』(朝日新書)だ。2017年の発刊以降、その反響は長年の文筆業の経験でも初めてといっていい不思議なものだった。

熊田曜子の賛同と、それに対するバッシング

SNSやネットニュースのコメント欄ではお叱りの嵐で、その多くが、「これは不倫関係である」「肉体関係なしの恋愛などあり得ない」とし、ゆえにセカンド・パートナーなどという関係など成り立たず、所詮は著者による紙の上の絵空事だという声まであったくらいだ。

 

しかし、私のもとには、お叱りの声と同じくらいの数で、「実は私もそうした関係の異性がいる……」という、賛同ではないが、「事実のご報告」とでもいうべき声が寄せられた。

 

もしかすると実際にそうした関係を持ってい

 

る人はわざわざ声高に話すことでもないとして、ネット上での書き込みを控えていたのかもしれない。そして、セカンド・パートナーという言葉が世に浸透する大きな契機となったのは、女優の熊田曜子さんが情報番組「ノンストップ!」(フジテレビ系、2017年6月23日オンエア)にて、その関係への賛同と願望を述べたことだろう。

 

この熊田発言もまたバッシングを浴びた。やはり既婚の身である以上、いかなる関係であっても異性との関わりを持つことはアウトというのが、当時の世相だった。

あやなんに対する「好意的な声」の背景

この傾向はコロナ禍の「自粛」でさらに拍車がかかった感がある。だが何事も常識の振り子が働くようだ。行き過ぎた自粛は、いつしか人々の間に「自粛疲れ」として捉えられるようになっていた。

 

そしてコロナ禍もようやくひと段落した今、景気は回復基調にある。そうしたなか人気YouTuber・あやなん氏の「セカパ・カミングアウト」のニュースは、ネット上ではバッシングもさることながら、わずかながらも好意的な声が見受けられた。

 

セカンド・パートナーへの賛同と願望を口にしただけで世間からNOを突きつけられた2017年の熊田発言の頃と比べると、世相は緩やかながらも変わったといえよう。

 

よくも悪くもセカンド・パートナーという存在が世に認められる時代へと移ろった。

コロナ禍の終焉(しゅうえん)、そして景気回復により、人々の心に余裕が出てきたといったところか。

とはいえ、いくらこの関係が世間で認知されようと、やはり人々の大勢は否定的な見方を崩さないだろう。

「肉体関係がないから不倫ではない」は通用するのか

これまでであれば「肉体関係がないから不倫ではない」というエクスキューズが司法の場でも主張できたセカンド・パートナーだが、司法の場も世相が大きく反映されるものだ。

 

もしかすると、既婚者が「肉体関係のないセカンド・パートナーだ」と大っぴらに語ることで、その関係は、「不倫に準じたもの」という解釈が出てくるかもしれない。

 

事実、今でもネット上の声をみると、「セカンド・パートナー=不倫」という文脈で用いられている節がある。今後、セカンド・パートナーとは現在の不倫同様、水面下に潜って行う関係になるのではないだろうか。

 

そうするとこの関係は「不倫の前段階」といった意味合いを帯びてくる。「セカパ」関係にある人たちの間で、「わたしたちの関係は不倫ではないよね――」という、いわば慰めの文脈で用いる言葉として残っていくものと予測される。

 

ときに、「浮輪」になぞらえられるこの関係だが、水面下では浮輪が用いられないのと同じく、たとえセカンド・パートナーであったにせよ、これからの時代、不倫同様、浮輪なしで「バレる」という名のリスクを泳ぎ切る度量が求められよう。

 

不倫と同じく、溺れたと思われてはいけないといったところか。

 

-秋山 謙一郎(あきやま・けんいちろう) フリージャーナリスト 1971年兵庫県生まれ。『AERA』「AERA.dot」(以上、朝日新聞出版)、『週刊ダイヤモンド』「ダイヤモンド・オンライン」(以上、ダイヤモンド社)、「現代ビジネス」(講談社)などに寄稿。経済、社会、文化の3つのジャンルを専門とする。著書に『弁護士の格差』『友達以上、不倫未満』(以上、朝日新書)、『ブラック企業経営者の本音』(扶桑社新書)、『最新証券業界の動向とカラクリがよ~くわかる本』『公務員の「お仕事」と「正体」がよ~くわかる本』(以上、秀和システム)など多数。共著に『知られざる自衛隊と軍事ビジネス』『教師が危ない』(以上、別冊宝島)などがある。 ----------