軍艦島、八幡製鉄所、三池港は、日本人が失敗を重ねながら近代製鉄を築いた歴史の証しである。
韓国の要求によって、日本の産業革命史が一方的な物語に塗り替えられることを許してはならない。


2020年7月13日
日本の近代化を築いた人々の歴史を、他国の政治的要求によって書き換えさせてよいのだろうか。
高山正之氏は、週刊新潮の連載コラム「コロナ外交」で、欧州と日本の製鉄史、そして軍艦島をめぐる韓国の要求について論じている。
欧州では、スウェーデン、英国、ドイツ、フランスなどが製鉄技術を競い合った。
木炭高炉からコークス製鉄へ。
パドル法から平炉、ベッセマー転炉へ。
各国が互いの技術を学び、改良した。
しかし、日本には、近代製鉄技術を競い合える隣国はなかった。
日本は、長崎の出島から入ってくる限られた情報を手掛かりに、独力で製鉄技術を築かなければならなかった。
島津斉彬、大島高任、幕府や各藩の技術者たちは、高炉や反射炉の建設に挑戦した。
多くは失敗した。
それでも、日本人は諦めなかった。
官営八幡製鉄所では、外国製設備とドイツ人技術者を導入しても、操業はうまくいかなかった。
最後に炉を改造し、鉄鉱石を選び、良質な石炭を探し出したのは、日本人技術者だった。
1903年、日本は銑鉄から鋼鉄までの一貫生産に成功した。
軍艦島では海底炭鉱が開発され、三池港には巨大な潮位差を克服する閘門が築かれた。
これらは、日本人が失敗を重ねながら、世界水準の産業国家を築き上げた証しである。
ところが、世界遺産登録をめぐって、韓国政府は朝鮮半島出身労働者についての説明を要求した。
戦時期の労働実態は、資料に基づいて検証されなければならない。
過酷な事例があったなら、それも説明すべきである。
しかし、幕末から明治期の日本の産業革命史全体を、後の時代の問題だけで塗り替えることは許されない。
日本側が一度譲歩しても、問題は終わらなかった。
その譲歩が、次の要求の出発点になった。
歴史的事実は、外交交渉によって決められるものではない。
一次資料と客観的検証によって明らかにされるべきものである。
日本は、相手国の顔色をうかがって、自国の歴史を語ることをためらってはならない。
誤った主張には反論する。
不当な要求には応じない。
明治の人々が築いた産業遺産の価値を、日本自身の言葉で世界へ伝える。
それが、現在の日本に課せられた責任である。
高山正之氏が「韓国との外交を8割減に」と書いたのは、相手の要求に際限なく反応し、譲歩を重ねる外交をやめよという痛烈な警告だった。
日本の産業遺産を、一方的な政治的物語によって汚させてはならない。
全文と英訳を収録した原典・決定版は、公式ホームページ「文明のターンテーブル」に掲載する。