あけましておめでとうございます!年明けの更新が大分滞ってしまいました!

 

1月ももう半分が過ぎようとしてますが、こんな報道がありましたね!

小田原市の政策監、八木大二郎さんに関する報道です!

 

 

ちなみに、以前書いた八木大二郎さんに関する記事はこちら!

 

 

Yahooの記事には「特別職の秘書であり、これまでの功績について市民に自分の口から言うことは控えなければいけない」とありまして、小田原ファンとしては非常に残念ですね。是非ご活躍を聞きたかったです!

 

さて、このYahooの記事のコメントに、興味深いものがありました。

それは、県議時代にやまゆり園の追悼式を、地元の有力者とのゴルフに行くために欠席したとの内容でした。そして、それは守屋輝彦市長のWikipediaに書いてあるとも記載してあります。

 

そこで、守屋輝彦市長のWikipediaを見てみました。

 

 

すると、政策監の欄に書いてありました!

 

どうやら、「相模原市議会をよくする会」という市民団体があったようで、その機関誌の「The Gallary 第77号」に書いてあるようです!

それによれば、2018年の7月23日に開催された、「津久井やまゆり園事件追悼式」の当日に、山梨県内で地元の方々と一緒にゴルフをしていたようです!

 

この市民団体については、脚注にこの記事が載ってました!もう解散してしまってるんですね~。

 

 

やまゆり園の事件と言えば、有名な事件ですね。本当に追悼式がこの日付にあったのか確認してみました。

 

 

ずばり、この日に開催されてますね!

厚生労働大臣、県知事、県議会議長、相模原市議会議長など、そうそうたる顔ぶれで行われてます。

 

そして、続く部分のWikipediaをそのまま引用してみます!

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八木大二郎氏は「ともに生きる社会の推進及び津久井やまゆり園等の障害者支援のあり方」をテーマとした「ともに生きる社会かながわ憲章推進特別委員会」[50]の委員長を務めており、[51]、追悼式の行われる1か月前の2018年6月1日の相模経済新聞の記事に、「一昨年7月に起きた『津久井やまゆり園』での凄惨な事件には大きなショックを受け、再発を防ぐため『憲章』の制定を提案。『ともに生きる社会かながわ憲章』を議決・制定する推進役を担った。その後、憲章実現に向けた特別委員会が設置され委員長を務めることになる。 『二度とこのような事件が起こらないように県と議会が一体となって啓発に力を入れています』と現況を語る。」と掲載されている。[45]

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これによると、「ともに生きる社会かながわ憲章推進特別委員会」の委員長を務め、「ともに生きる社会かながわ憲章」というものを議決、制定する推進役を担ったようです。

 

ちなみにこのWikipediaの

 

[50]の脚注は

 

 

[51]の脚注は

 

 

[45]の脚注は

 

 

です!

 

ここで、なんかごちゃごちゃして良く分からなくなってきましたので、詳しい時系列を追ってみようと思います。

まず、やまゆり園の事件の日付は2016年7月26日ですね。八木大二郎さんの地元、相模原市緑区で発生し19人も亡くなられた凄惨な事件でした。

 

 

神奈川県の時系列はここのHPで分かりますね。

 

 

「ともに生きる社会かながわ憲章」の策定の記事はこれですね。八木大二郎さんが提案されたようです。

 

 

時系列は以下です!

 

2016年7月26日 やまゆり園の事件発生

2016年10月14日 「ともに生きる社会かながわ憲章」が策定される([45]の記事によると八木大二郎さんが推進役)

2017年6月1日 [51]タウンニュースの記事にて八木大二郎さんが「ともに生きる社会かながわ憲章推進特別委員会(憲章実現のための特別委員会)」の委員長になったと報道

2018年6月1日 [45]相模経済新聞の記事にて、取り組みを語る

2018年7月23日 やまゆり園の追悼式を欠席しゴルフ

2018年10月13日 「相模原市議会をよくする会」の機関誌「The Gallary 第77号」にてその旨が掲載される

 

と言う時系列でした!

ここで、2018年7月23日時点で八木大二郎さんが「ともに生きる社会かながわ憲章推進特別委員会」の委員長だったのか?という疑問が浮かびました。

神奈川県のHPで調べてみると、「ともに生きる社会かながわ憲章推進特別委員会」は平成30年5月18日に最後に開催されていて、その時は八木大二郎さんが委員長だったようですが、その後どうなったのかが良く分かりませんでした。

 

平成30年5月18日の記録です。

 

 

個人的には、委員長では無かった、と言うか、恐らくこの5月18日でこの「ともに生きる社会かながわ憲章推進特別委員会」は終了し、その後は、「ともに生きる社会かながわ推進特別委員会」と名前を変えたのではないかと思います。

詳しい経過はよく分かりません!

 

「ともに生きる社会推進特別委員会」 というものが平成30年7月3日に開催されており、やまゆり園のことも話しているんですが、少し名前が違うしよく分からないんですよね。

 

平成30年7月3日の「ともに生きる社会推進特別委員会」の記録です。

 

 

「かながわ」が間に入ってできた、「ともに生きる社会かながわ推進特別委員会」は現在もあるようです。

 

 

さて、ここまで調べたからには、どうしても

「相模原市議会をよくする会」の機関誌の「The Gallary 第77号」を読みたくて仕方がなくなってしまいました。


Wikipediaの脚注を見ると、なんと、「相模大野図書館蔵」とあるではないですか!

ということで、土曜日の休みを利用して相模原に実際に行ってみました!

パソコンでどの棚にあるか検索して、バインダーでまとめてあって、日付順にとじてあるのでファイル番号さえ間違わなければ見つかります!

見つかった時は感動しましたね!

 

さて、著作権の都合もあるのであまり画像などは載せられないのが残念ですが、タイトルは「厳粛な追悼式よりゴルフ場を選んだ人たち」とWikipediaにあるまんまのタイトルでした。

 

行ったとされている方は八木大二郎さんだけが載っているのでなく、8名の氏名、役職が載っていました。

 

八木大二郎さんを含め県議会議員が2名、当時現役の相模原市議会議員が5名、相模原市選挙管理委員長(元相模原市議会議長)が載っていましたね。

 

ゴルフ自体は12名で行ったようで、4名は民間人のため匿名とされていました!

 

印象的なだったのが、「ゴルフ参加者の声」が載っていたことです。

ゴルフに参加した議員の方々に直接この会の方がお伺いしたそうです!

誰がどうとかは書いてないので、八木大二郎さんが聞かれたかどうかは不明です!

当時八木大二郎さんは県議会議員であり、この機関誌を発行したのはあくまで「相模原市議会をよくする会」なので聞かれてはないような気もします。

 

さて、「相模原市議会をよくする会」の方々が議員の方々にお伺いすると、

 

〇直前の別の追悼式には出た。23日はしっかりと断っていた。

〇ゴルフの日程が事前に決まっていた。

〇少し迷った

〇議員活動とは関係ない

 

というような言葉が返ってきたと書いてありました。

もちろん私が聞いた訳では無いので、あくまでこの機関誌に書いてあったことですよ!

 

いずれにせよ、あくまで個人的にですが、八木大二郎さんが地元の悲惨な事件の追悼式をゴルフで欠席されたのは少し残念ですね。しかも地元ですし、県議会議員としても、憲章の旗振り役を務めていらっしゃいましたしね。

小田原を良くしようと一生懸命働いてくださっている方で尊敬もしていましたが、なんか複雑な心境ですね。

まあ過去のことはどうしようもありませんので、これから先を見据えましょう!

 

また、冒頭でも書きましたが、

 

 

このニュースも、最後の「特別職の秘書であり、これまでの功績について市民に自分の口から言うことは控えなければいけない」という言葉が残念ですね~。

市民としては、是非八木大二郎さんのこれまでのご活躍を聞きたいところなんですが!

 

あと、

 

 

この最後の部分の

 

「『私の政治活動の原点は地域をもっと良くしたい、との強い思い。だから苦難の連続を乗り越えてこられた。政治は長くても70歳までと決めている。そして次の世代に引き継ぎたい。愛する相模原のため残りあと16年で何をなすべきか考えたい』と挨拶し、一層の活躍を期待する大きな拍手を送られていた。」

 

の部分ですが、これを読むと、なぜ今小田原市にいらっしゃるのかよく分からなくなってきました。

当時この愛する相模原市への熱いメッセージを聞いていた地元の方々も、少し首を傾げてしまうのではないでしょうか!?

 

やはり、何かしらのコメントは欲しかったところですね!

 

しかし、これからも小田原のためにご活躍されると思いますので、これからも期待してます!今回は以上です!