この世界に花束を -4ページ目

おはようこんにちはこんばんは

 

相変わらずの猛暑ですね

 

 

前回のブログでは、とんでもなく間が空いた後だというのに、

ご訪問、ありがとうございました。

 

しかもとんでもなく間が空いた後にこれか!という内容だったにもかかわらず・・・。

かかわらず・・・(;´Д`)

いつも本当にありがとうございます。

 

いろいろあって、精神的に閉じこもって、もともと閉じこもり気質なのに一層拍車がかかって、

ブログで気持ちを吐き出すことさえできなくなって

文章にする気力が、それ以前の気力が無くなって。

 

けれど、ひとりじゃないんだ、と。

押して頂いたいいねと、頂いたコメントを前に

ああ、私は、ひとりじゃないんだと思えて

皆さんの優しさに、なんだか包まれた気がして

泣きました。

この数年、苦しさや悲しさや怒りで泣くことはあっても、こんなふうに泣けたことはなかったので、

じんわりと、胸の奥の何かが溶けたような気がしました。

 

今日のブログは、ここから先は、不快にさせてしまう内容になってしまうかと思います。

けれど、この先に進むために、やはり、私は、文章にすることで自分の気持ちが整理できるようなので、書いておきたいと思ったのです。

そして、明らかにすることで、ひとつ前に進みたい。

そんな勝手な思いからの内容になります。

なので、どうぞ、ここで閉じて頂ければと。

毒にまみれた文章は、けして良いものではありませんので・・・。

 

 

 

父親との確執は、昔からありましたが

離れて暮らしていたので、いろいろあっても、モヤモヤしても、

それなりに自分なりに消化することができていました。

けれど、数年前、実家に戻ってきてからは、同居となってからは、逃げ場がない、

さらに父はずっと家にいて趣味もなく、家族の動向に全集中しているという

モラハラに拍車がかかった状態で。

暴力こそ無いものの、

理不尽に怒鳴られることは日常茶飯事。

具合が悪くて寝込んでいては怒鳴られ、

部屋に怒鳴り込んできたり、

部屋の前を通る時にドアを殴られたり、

さらに機嫌が悪いと引き戸やドアやそういったものの開け閉めの際、ガンガン音を立てるので、

大きな音が、正直苦手な自分にとって、苦痛を通りこして恐怖に近い。

体調が悪く弱っていたこともあるのでしょう、気づいたら、父が部屋の前を通る時は無意識に体が強張る、部屋にいても聞こえてくる声に(木造なので、防音性はあまりない)緊張感が走る、そんな状態になってしまっていたのです。

 

私にとって家は安全な場所ではなく、

むしろ、一番気が抜けない、

無意識のうちに気が張り詰める場所になっていました。

 

これは、自分でも、ショックでした。

どちらかといえば気が強い、これまで、過去にもいろいろありましたが、こんなふうに脅えたことは無かったのです。

どれだけ怒鳴られようと、自分の気持ちは伝えたし、それを怖いと思ったこともなかった。

なのに、戻ってきてからは。

体調不良で、一向に治らない状態に心が参っていたからなのか(今思えば、あの状況で治るわけもなかったのだけれど)、

ちょっとした物音にビクつき

体が強張る。

それは、徐々に体調が回復してきてからも、変わりなく。

なんで、こんな、と自分で自分が情けない。

情けない。

本当に。自分で自分に腹がたつ。

めちゃめちゃ腹がたちました。というか、今でも現在進行形ですが。

 

 

 

関係性を改善できたらと、

いろんな本を読み、動画を視聴し、心のもちようを変えてみようと試みたりもしてみました。

父の生い立ちや性格や気性を考えれば、

理解できないこともない部分もあるのです。

けれど、

と、だからといって納得できない自分もいて。

座っていることすら辛い状態で、憎まれているのだろうかと思うほどの形相で怒鳴りつけられ、具合が悪いことを責められて。状況を説明しようとすれば、うるさい黙れ口答えするなとさらに怒鳴られる。

そんな繰り返しの数年間で、すっかり私の性根は歪んで(いや、もともとか)

これまでは歩み寄ろうとしていた希少なホワイトな部分の私もすっかりヤサグレてしまったのでしょう。

理解できないこともない、

けれど、

だからといって、

どうしてそれを受け入れなくてはならないのかと。

育ててもらった恩はある、

あるけれど、

家族だけれど、

親子だけれど、

けれど、

だからといって、

 

 

もう、無理だと。

 

 

ほんの少し改善の兆しが見えた後、

そこまでするのか・・・というあれこれが起きて、奈落の底に突き落とされる。

そういうことの繰り返しもあり。

 

 

もう無理だと。

このままでは、自分がダメになる。

今までは、母親を残して家を出ることはできないと、踏ん切りがつかなかったけれど、

もうさすがに限界だと、

家を出よう、そう思った矢先、父に癌が見つかりました。

 

 

ちなみに現在は、手術も無事に終わり元気です。

ええ、とても元気です。

ただもう一か所、手術が無理な場所にも癌があるのですが。

今のところは、ほんとに癌が・・・?と思うくらい、元気です。

 

 

正直に書きましょう。

父に癌が見つかった時、ショックはありませんでした。

いろいろ麻痺していたこともあるかもしれません。

いえ、私はもともと情が薄い気質なのでしょう。

事務的なことを事務的に考えているだけでした。

それは今現在も変わりません。

 

 

 

『普通』に捉われたくはないけれど

(そもそもなにが普通なのか、ですし)

けれど『普通』だったら、どうなんだろうなと

ふと、思う時があります。

 

 

過ぎたことを、いつまでもひきずって、

そこから抜け出せず、

まあある意味現在進行形ではあるけれど、

自分を変えることもできず、

同じようなことの繰り返し、

 

ふいに怒りが甦り、

感情の起伏は激しく、

それらを持て余し、

この年齢で、こんな年齢にもなって、

いまだこれかと、

自分で自分が嫌になる

本当に、

なんで、いつまで経っても、こんななんだろう

突きつけられる自分の程度に、

笑えて、泣けて、苦しくて、

苦しくて

どんどん、心が死んでいく、

そんな、この数年間でした。

 

 

自分の不甲斐なさというか、

醜い部分というのは、

かなり堪えます。

いまだ、父への確執を手放せない自分。

つい、言動に出てしまい、

もっと大人になれたらと思う気持ちと、

そんなのはもう嫌だと、ある種の復讐心のようなものが消えない自分がいます。

赦しとは、相手のためではなく、自分のためだということも

何度も聞いて何度も読んで何度も腑に落とそうとしてきたけれど、

いまだ、納得できなくて。

ふふ。

もしかしたら、一生、このままなのかもしれませんね。

けれど、それはそれで、ありなのかもしれません。

最近、そんなふうに、諦めではなく、気負いのない、自然な心もちで思えるようになりました。

 

 

ここからは、前回の内容と大分被ってしまいますが。

8月の初日にインド映画『RRR』を観たことで

私の奥深くで、何かが息を吹き返し。

(何か――、それは、煩悩・・・←台無し)

観れば観るほど、枯れ果てて干からびた大地に水が染み込んでいくように

自分の心が、気力が、回復していきました。

 

 

あのある種の暑苦しさや、数分置きに来るクライマックス、

そして、全編に感じられる、生命力。

広大な大地と、森と、水と、炎。

映像はとても美しいけれど、そこには砂埃や汗があって、

それがなおさら、生命を、力強さを感じさせる。

そう、なんだかんだパワフルなのです。

いろんな意味で。

 

 

『生命力が歓喜で踊り出す』

これは、ナートゥダンスの歌詞の一節なのですが。

まさに、もうまさに

生命力が歓喜で踊り出す、とはこういうことかと、

RRRを観れば観るほど体感しています。ええ、いろんな意味で。

(8回観た。何回観ても飽きない。むしろもっと観たくなる。それがRRR)

 

嗚呼。RRRの森の緑も美しかった・・・

 

 

 

いまだに、奥底に刻まれた恐怖は根強く残っていて、家の中で完全に安らぐことはできていないけれど

 

逡巡する心も現在進行形で、予期せぬ出来事で揺れて感情が荒れたりもして

未熟な自分はそのままだけれど、

 

けれど、

ふと、これまでの自分のことを思い返していたら

がんばったな、と初めてそんなふうな気持ちが生まれてきたのです。

 

気負いもなく、無理もなく、

 

ああ、

そうだ。

本当に、

よく、がんばったね、と。

そうしたら、何かがぽろりと落ちて、生きていきたくなりました。

 

 

RRRの森も・・・ってもういいから

 

 

 

 

 

私は、私を取り戻そう。

未熟なまま、

迷いを捨てきれず、

情も薄い、

そんな醜さもすべてそのままで。このままで。

前を向こう。

顔を上げよう。

きれいでなくていい、美しくなくていい、どれだけみっともなくてもいい。

自分のままで、

この生命の火を燃やしていこう。

 

泥臭く、汗にまみれて、砂にまみれて、

歓喜に満ちた踊りを踊るように

この命を、生きていこう

 

何度も何度もぶれるけれど

ぶれたらまた、戻ってこよう

 

私は私であることに

もう、俯いたりはしたくないのだから

 

生まれたこの火をこの熱を

大切に

私は私を生きていこう

 

 

 

 

我慢できなかったので貼る・・・。

 

RRRは音楽がこれまたすべて神なのだが

↑もその内の一曲。

タイトルは『ドスティ』

 

『ドスティ』とは絆、友情という意味。(これだけで吐血)

ラーマ(上の画だと右側)とアクタル(本名ビーム・左側)

ふたりのドスティ期が、

ドスティの歌をBGMに繰り広げられている。

(もう、部屋の端から端まで転げまわっても足りない。)

(息をするのも辛い・・・)

ふたりが初対面で(!)

アイコンタクトで(!)

少年を助けた後からの場面。

ここにもいろんなメタファーが隠されていて

煩悩だけではなく何度観ても観飽きない。

 

~以下、補足という名の煩悩を少し(少し?)~

大義のため警察官になりようやくチャンスが巡ってきたが(ゴーンド族のビームを捕らえれば、特別捜査官に任命される)、なかなか捜査が進展せずに苛立っているラーマと

英国の総督に攫われた少女マッリを取り戻すためデリーに出てきてから半年が経つというのに、マッリが生きているかさえも掴めず、こちらも焦燥と不安と苛立ちに苛まれているアクタル(ビーム)、

そんな二人が、出会い、もう初対面から意気投合し、運命を感じて(公式)親しくなっていくドスティ期。(ああ、神よ)

どれだけドスティかというと、

1万の暴徒を前に表情を変えることのなかった、他の場面でも毅然とした無表情のラーマが、アクタルの前でだけは、表情がまなざしがすべてが柔らかく、そして笑顔なのである。

※特に悶絶なのが2分以降のワンシーン。

調査中のラーマと彼の叔父が、道の向こうから巨大な肉の塊を担いで歩いてくるアクタルに気付く場面。

大食漢のアクタルを指して叔父が『あれでも食べたりないんじゃないか』と揶揄すると、ラーマが『悪く言わないで』とめちゃくちゃ優しい笑顔と声で応じるのだ・・・・!(吹き替え版でのことなので。どうぞそのイメージでアテレコして観て頂きたい)

対するビーム(アクタル)も、森を統べる虎と表現されるほど、村の仲間の中ではリーダーとして兄貴格なのだが、ラーマといる時は彼を『兄貴』と慕って甘える弟状態。(吐血)

悶絶するしかない5分16秒。(この10倍あってもいいのに)

映像も美しく、もうすべて名場面だが、機関車ぷしゅーのところもお気に入りである。

(機関車は、互いを打ち消しあうが融合すると強大な力になるというメタファーでもある。ちなみに火はラーマ、水はビーム)←RRRは作中、こういったメタファーがあちこちに隠されている。

だめだ・・・、

書き始めたら止まらなくなってきたので、ここらへんで自粛を・・・。(鋼の意思が必要だ)

 

ちなみにドスティ(曲の方)は、低音が特に良いのです。

映画館で観るとなおさら、体に心に魂に響く。

私は幼少時の薬の副作用で変声して声が低いのだけれど、

だったらいっそもっと低ければよかったのに・・・!とこの曲を聴いて本気で思いました。

(どうやってもあの低音が出せない・・・口惜しい・・・)

 

 

〆の画像は、吹替版入場者特典のカードです

TRIGGER様のイラストであーる(神よ!!)

 

 

 

なんか・・・

めっちゃ長くなって・・・

今回も・・・

結局・・・(;´Д`)

ごめんなさい・・・

(だが後悔はしていない)