メルマガ正解率(第58~60号)
御協力いただきましたメルマガ正解率の結果は、以下の通りとなります。
第58号(物件名の英語表記)・・・45.5%(5/11)
第59号(1番目と2番目の五重塔)・・・27.3%(3/11)
第60号(池と寺の組み合わせ)・・・58.3%(7/12)
今回は、日本の世界遺産を中心に出題しました。今までと較べ、全体的に少し正解率が低かったようです。日本の世界遺産ということで、細かい知識を問いすぎてしまったのかもしれませんね。
メルマガ「はじめての世界遺産学検定」、バックナンバー
http://archive.mag2.com/0000189651/index.html
前回(2009年)のメルマガ正解率、集計結果
http://ameblo.jp/seka113/entry-10290214066.html
前々回(2008年)のメルマガ正解率、集計結果
軍艦のような島
上に示したのは、端島の写真である。その姿から別名「軍艦島」とも呼ばれる。
かつて炭鉱の島として栄えたこの島は、わずか東京ドーム1.3個分の広さに、学校・病院・店舗など、あらゆる都市機能を備えていた。中には映画館、雀荘、パチンコ屋などの娯楽施設まであったという。
「人々が暮らし、楽しむだけの機能を備えていた」という意味では、この島は確かに巨大な客船のようなものだったのかもしれない。
一時は東京の10倍近くの人口密度を誇っていたこの島も、1974年の閉山に伴い、無人島になってしまった。しばらくは荒れるがままの状態にされていたが、近年遺産的な価値が見直されるようになった。
現在この島は、九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産の1つとして、世界遺産の暫定リストに記載されている。
十字架のような島
左に示したのは、中通島(なかどおりじま)の地図である。南北方向と東西方向にそれぞれ土地が伸びており、まるで十字架のような形をしている。
キリシタンたちが迫害を逃れてやってきたというこの島が、キリスト教の象徴でもある十字架の形をしていたというのも奇跡のような話だ。
奇跡のようなこの島に、現在30近くの教会が存在する。そのうち2つの教会が、長崎の教会群とキリスト教関連遺産で、構成資産となっている。
頭ヶ島教会(かしらがしまきょうかい)・・・設計:鉄川与助・石造・1919年完成
青砂ヶ浦教会(あおさがうらきょうかい)・・・設計:鉄川与助・煉瓦造・1910年完成
船旅
前回お知らせしましたように、連休中に九州に行ってきました。九州にある世界遺産候補は、島にその構成資産があることが多いようです。したがって必然的に船旅が多くなりました。
長崎の教会群とキリスト教関連遺産では、中通島。この島にある2つの教会が構成資産になっています。・・・(A)
九州・山口の近代化産業遺産群では、端島・高島。この2つの島は、炭鉱の島として日本の近代化に寄与しました。・・・(B)
宗像・沖ノ島と関連遺産群では、大島(筑前大島)。この島には、湍津姫神を祀る宗像大社の中津宮があります。・・・(C)
九州の世界遺産候補
連休を利用して、九州に行ってみたいと思います。九州という場所は、思えば日本の歴史の中でいつも世界への窓口となっていたように思います。
(A)大航海時代におけるポルトガル・スペイン・オランダとの交流、(B)幕末から明治にかけてのヨーロッパ列強諸国との交流、そして(C)古代日本における中国・朝鮮半島との交流。すべてはこの九州において行われました。
このような世界との交流の中で生まれた文化遺産が、九州には3つあります。
(A)長崎の教会群とキリスト教関連遺産
(B)九州・山口の近代化産業遺産群
(C)宗像・沖ノ島と関連遺産群
いずれの文化遺産も、「交流」がキーワードになりそうな世界遺産候補です。また「交流」というキーワードは、世界遺産の登録基準(ii)とも深く関わります。
世界との交流において、九州という地域はどのような遺産を生み出してきたのか。何か収穫がありましたら、またこのブログにて報告させていただきたいと考えています。
カスビのブガンダ王国の王墓
「カスビのブガンダ王国の王墓」という世界遺産の中心部分は、王墓となっている藁葺屋根の建物。王国歴代4人の王の墓となっている。今回焼失してしまったのは、この建物。
この建物、王墓として使われる前は、宮殿として使われていたという。しかしその外観の印象は、我々が考えるような宮殿とは異なり、素朴な表情をしている。この建物についていろいろ調べたが、僕が興味を持ったのは特にその内部。
天井高さ7.5mの内部は、木でできた柱が林立しており、実際に4人の王が眠る場所は「聖なる森」と呼ばれ、樹皮を素材にしてできたカーテンによって仕切られているという。実際にこの場に立っていたら、どのような印象を与えてくれるのかと、想像を掻き立てられるような空間だ。
藁葺きの屋根、木の柱、樹皮のカーテン。今更ながら、いかにも燃えやすい造りの建物だったと言わざるをえない。しかしこれらは、いずれも他の民族には見られない特有の技術によって作られたもの。代々継承されているというその技術によって、いち早い復元を願う。
カスビのブガンダ王国の王墓(新公式テキスト第1巻P.260)
焼失
大変なことになりましたね。・・・
放火か、世界遺産・ブガンダ王族の墓が焼失(読売新聞 2010-03-17 22:20)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100317-OYT1T00997.htm
世界遺産の王墓焼失 ウガンダ(共同通信 2010-03-18 00:46)
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031701001171.html
カスビのブガンダ王国の王墓(新公式テキスト第1巻P.260)