「凄腕社労士の労働事件簿」【8】 本田和盛氏 | 清話会

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凄腕社労士の労働事件簿 【8】
~注目判例から読み解く、時代の転換点~
<今回の注目判例>売上未達で給料がマイナスとなる賃金制度
富士火災海上保険事件(札幌地判平19年12月3日)

凄腕社労士 本田和盛氏(あした葉経営労務研究所代表)
http://profile.allabout.co.jp/fs/honda/  
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●成果主義の徹底のために、インセンティブ性が強い賃金制度を導入する企業は多い。目標達成度に応じて、インセンティブ給が大きく変動する成果主義型の賃金制度では、期待される成果が獲得出来ない場合は、インセンティブ給がゼロになることさえありえる。この場合でも本給(固定給)は全額支給される。


●インセンティブ給が減少し、ゼロになることはあっても、それがマイナスになることはさすがに無い。「マイナスの賃金額」という概念が、ありえないからである。


●ところが本事例の賃金制度は、月間売上額が前年同月の売上額よりも少ない場合、インセンティブ給がゼロを超えてマイナスとなり、そのマイナス額が次月以降で解消されない限り、年度末までマイナス額が累計され、翌年度の賃金が大幅に減額されるというものである。


●景気悪化の局面では、売上額が前年同月比で未達となることは避けられないが、本賃金制度では、売上未達にともないインセンティブ給がマイナスとなり、年度の途中で売上を挽回しない限り、年度末には必然的にインセンティブ給のマイナス額が積み上がる仕組みとなっている。


●年度末にマイナス額として積み上がったインセンティブ給は、翌年度の毎月の本給から分割・平準化されて控除される。つまり、翌年度に実際に支給される毎月の本給を食い潰す形で、減額精算される。


●本賃金制度は、積み上がったマイナスのインセンティブ給を、その後の賃金(本給)から減額するという点で、労基法(24条1項)の全額払い原則違反の問題を生じさせる。


●全額払い原則とは、「支払うべき賃金は全額支払うべき」という賃金支払に関する大原則である。この原則は、ちょっとした給料計算の過払い調整であれば例外的に認めている。一般に、「過払いのあった時期と賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期においてなされ、また、あらかじめ労働者にそのことが予告されるとか、その額が多額にわたらないとか、労働者の経済生活の安定を脅かすおそれのない場合であれば、過払賃金の差し引きも許される」とされている。


●しかし本事例の場合は、上記のような単純な過払い調整とは言えないと思われるが、裁判所は、本制度の合理性を基本的には認める形で、全額払い原則違反とはならないと判断した。


【事案の概要】

保険会社の営業社員であるAらには、本給以外に、顧客からの売上(集金保険料額)をベースに支給されるインセンティブ給が支払われることとなっていた。このインセンティブ給については、当月の売上が前年当月の売上額を下回り、当月分のインセンティブ給がマイナスとなった場合、マイナスの金額を翌月に繰り越し、翌月のインセンティブ給から控除する仕組みとなっている。しかし年度末までにマイナスの累計額が解消されない場合は、翌年度の月例本給から分割・平準化されて控除される。
Aらは、本賃金制度が労基法違反で無効であると主張し、提訴した。


【裁判所の判断の要旨】
●インセンティブ給による減額精算は、マイナスのインセンティブ給が計上された場合に直ちに行われず、清算金額が確定するのは年度末となり、社員の収入の安定に配慮したものと解されること、年度末に確定した清算金額を翌年度の給与に平準化した上で戻入れをしていること、減額精算は2年で完了することなどに照らせば、清算金による減額精算は、賃金の清算調整として合理的に接着した時期になされているものといえる。


●本制度は、当年度も前年度と同程度の実績を上げることを見込んで本給が決定されていることを前提に、当月の売上額と前年度の当該月の売上額を比較した上で、当初の見込みに反して前者が後者を下回ったときに減額精算をするものであって、過去に支給されたインセンティブ給をその後の成績の低下を理由に清算金として返還させる制度であるとまでは解すことができない。


●以上によれば、本制度は労基法24条1項に違反するとまではいえない。


【解説】

●本賃金制度は、全額払い原則違反とはならないという判断だが、ほかに途中退職した場合に、マイナスのインセンティブ給の累計額と退職金が相殺されるという問題についても裁判所は判断している。


●裁判所は、清算金額が大きくなればなるほど、退職金との清算を回避するために退職を躊躇する可能性があるとしても、退職金との清算は、必ずしも強制されるものではないことに照らせば、労基法5条(強制労働禁止)に違反しないとした。


●労基法27条(出来高払いの保障給)違反についても、社員の給与は、必ずしも出来高払そのものとはいい難く、清算金は、翌年度の給与に平準化されて戻し入れがされるなど、社員の収入の安定に一定の配慮がされているし、支給される給与が無制限に減少するものでもないとして、違反ではないと判断した。


●労基法27条の趣旨は、賃金が仕事の出来高に応じて支払われる場合、仕事が少ない時期には労働者の収入も減少し、最低限度の生活が脅かされる危険があるため、これを防止することにある。本事例では、「業務の性質上、仕事の繁閑が当然に生ずるものではなく、必ずしも仕事の繁閑によって賃金額が左右されるものとはいい難い」ことから、27条違反を否定した。


●景気低迷で売上が上がらない場合に、そのリスクは誰が負担するのかという問題が、この事例には隠れている。労働者本人のがんばりとは関係のない景気変動リスクは、第一次的には会社が負担すべきで、第二次的には賞与カットや昇給停止などで労働者が負担すべきと筆者は考える。


●リスクを労働者に転嫁するだけの成果主義は、経営者のモラルハザードを引き起こしかねない。賢明な経営者は、そのことを知っている。



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