再びキン肉マンについて考える | 前世が出てきてコンニチハ

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ひょんなことから知った自分の前世との、怪しき格闘記。

前にも書きましたが、ダイエットをしています。
自宅にある室内自転車をキコキコと漕いで太ももに筋肉が付いたせいか、じっとしているのがツラいのです。

バス停でバスをじっと待つという行為。昔から嫌いだけど、更に耐えられなくなったので、時間のある時は街中まで歩いていきます。

どんどんどんどんどんどん歩いて行って、この勢いならドイツくらいまでなら行けそうな気分になります。
だけど帰りが困るよね。
自腹切って飛行機代を払わなきゃならないし、保育園のお迎えに間に合わなくなりそうです。

鍛えたと言っても長距離歩けば疲れるし、自転車だって一時間が限界です。
それでも太ももは体育会系になったらしく、

「もっと鍛えて。もっと自転車!」

と怪しく私に囁くのです。もちろんシカト。しかし、

「胸筋や腹筋も鍛えたい」

と心の内側からも怪しい声が、、、。

昔腰痛になった時、理学療法士に行きなさいと命令されたジムで使った胸筋や腹筋を鍛えるマシーンは確かに楽しかった。
あれが家にあったら何て良いかしら。でもジムへ通うのは面倒なのです。

ドイツまで歩けそうだと言いながら、ジムまでの15分の距離を嫌がる矛盾を、寛大な心でお許し下さいませ(≧▽≦)

最近はどうして痩せたいのか?の目的を忘れて筋トレの夢想をしていることが多いです。

運動嫌いとか言いながら、筋トレ好きなんじゃないの、本当は?
去年の11月、武蔵小山の商店街でキン肉マンを見てしばらくはしゃいでいた時期がありましたが、あれは、

「キン肉」

という言葉に脳が反応したんじゃないか、とも思うようになりました。
潜在意識の持つ情報は非常に多い。だけど顕在意識にはそれらを正しく解釈するキャパシティーがない。
だから、

「キン肉マンがいた。わぁ嬉しい!」

という表面的な反応しか出来ない。

ああ、そういうことだったのか。

一人で納得して、いつもに輪をかけて怪しいですが、では私は筋肉をどうしたいのか?
筋肉に美を見ているのか、単に体の余分な脂肪を消したいのか?
筋肉つけてどこへ行きたいのだ、加藤ヒョウタンツギセイウチ!

三島由紀夫の何かの小説に、筋肉が筋肉としてだけ存在する為だけの、「純粋筋肉」という概念が出てきました。
うきゃきゃ。純文学もギャグマンガも紙一重ですな。
こんなこと書いたらどっかの大学の文学評論家とか、三島文学研究家とかに糾弾されそうですが。

キン肉マンで哲学。
略してキン哲。
鉄道電車会社みたいですが、肉体というのは最もありふれた哲学の課題ですね(たぶん)。

武蔵小山で今度キン肉マンに出くわしたら、どうやって勝負をかけるか?
私は握力も15とか悲惨な数値だし、腕相撲なんて一秒で負けます。
ジャンケンもすごく弱いし、走るのも遅い。
子供の頃は漢字テストでいつも満点でしたが、今は漢字は何となくの「感じ」でしか書けません。
歌もオンチだし、おいキン肉マン、一曲歌え!なんて言われたらマジでヤバいし。
何か芸を身につけねば。
皿まわしとか?
時々真剣にそう考えている自分が、ドイツまで歩こうという発想より恐いです叫び

すっげーオチのない日記ですいませんあせる