和田 竜著『のぼうの城』
秀吉の北条攻めにおいて、武州忍城攻略を命じられたのは石田三成であった。
能吏として知られる三成は、内心武功をのぞんでおり、この命に勇躍して大軍を率い、この小城へ押し寄せる。
忍城の守将成田長親は、容貌やどんくささから家中のみならず、下々の者たちからもでくのぼうと呼ばれてて親しみ半分でからかわれていた人物である。
忍城は、すでに秀吉方に降伏することが決まっていたが、なぜか長親は交戦を決定し、かくして三成の大軍とのいくさがはじまる。
* * *
すんごい反響らしかったのですが、先日ようやく読みました。
感想としては「う~ん……」ってトコ。
おもしろい、おもしろいのですよね、それは間違いない、うん。
でもね、何だろねこの違和感。
登場人物は一見魯鈍な長親、彼をとりまくかたくるしい親友、がさつな武闘派、軍師きどりの若造、姫君、武勲を求める三成と、彼を気づかう大谷吉継、それに長親に親しみを持つ、あるいは武士をにくむ領民たち。
彼らがからみあって物語りはすすむのですが、その構成に隙がない。
展開自体も史実にもとづくものだから、しっかりと構築されている。
だけどそれがかえっておもしろくない。
いやおもしろいんだけど、物足りない。
実は少し前に初めて佐伯泰英の時代小説を読んだんだけどさ、やっぱり妙な違和感があったんですよね。
それと似ている。
きちんとまとまってるから面白みがないと云われてしまっちゃあ元も子もないだろうけどさ。
池波正太郎がかなり昔に、エッセイだか対談だかで、これからの者は歴史小説を描けなくなるって云ってたんですよね。
あぁなるほどね、ってその時も思ったけど、最近は特にそう思う。
最近の時代小説を読むとね、もう何て云うかさ、異国の物語なんだわさ。
同じ地続きの国のハナシを読んでる気しないんだよ。
たしかに昔にくらべりゃ研究もすすんでるし、文献も多くなっているだろう。
でもね、それは知識が増えてるだけってコト。
たとえば水洗トイレしか知らない人間がよ、落とし便所をいくら知識として理解してたって、感覚的なモノはついてこない。
ましてや、ソレ肥料としてできた野菜を喰ってたってコト、それが今の自分たちと地続き、時間でつながってるなんて、ココロのホントのホントの奥底で感じ取れる?
(ココ数十年で、おそらく日本人は、時代劇でしか見られないけれど、かろうじて残存しているモノの多くを自分たちで捨ててしまったような気がする……)
描く側に、それだけのセンス、届けるべき情景が、存在してるのかな?
いないから、このどうしようもない違和感は消えない。
そうとしか思えない。
NHKの大河ドラマなんての、モロにそう(そういったモノを体験しているはずの世代が描いてたってそうだしねぇ……)。
いくらキレイな写真見ても、その国の見聞録は描けないのさ。
まぁいいがかりっつうかさ、へ理屈だってのはわかるけどさ、
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評価:★★★☆☆
面白いのは間違いない。
作者の和田 竜って確かにウマイ、面白い。
いろんなヒトが評価するのも無理からぬところでしょう。
でもさ、残念だけど自分のココロとはうまくはまらない。
そんなコト云い出したらキリがないんだけどさ……
でもね、時代小説ってヤツがファンタジになっちゃったんだなぁ……って考えさせられると、かえってちとさびしいのさ、ふん。