今年の元旦に能登半島地震が発生して未だ復旧作業・捜索活動の日々が続いています。

豊橋市からも支援活動の要請に応じて職員が派遣されて活動してくれています。

まずはその支援状況について市のHPにまとめてあるので以下をご覧下さい。

 

 

そして近いうちに来るであろうと言われている南海トラフ地震ですが、その前身となる東南海地震が1944年に発生しました。

今回はこれの振り返りとして当時の記録をブログに残しておこうと思います。

1944年12月7日午後1時36分、紀伊半島沖を震源として発生したこの地震は遠州灘沿岸から紀伊半島に渡る一帯で被害が集中して発生しました。

地震の規模はM8クラスで豊橋百科事典によると震度5と表記されています。

この地震は終戦前後にかけて4年連続で発生し死者は1000人を超えたそうです。

この地域でも「三河地震」と呼ばれる地震がありましたが戦争の最中だったので、当時は情報操作等によって大きく報道できなかったそうです。

三河地震については祖父母から話を聞いたことがある程度ですが、ネットで調べると、震源地は三河湾で深さは約11km、震源地に近い西尾市等では震度6(現在の数値では震度7)だったそうです。

被害は震源域の三河地方においては昭和東南海地震よりも多くの死者が記録されていて、死者2,306人、行方不明者1,126人、負傷者3,866人とあります。家屋の全壊は7,221戸、半壊1万6,555戸、全焼2戸、半焼3戸、その他2万4,311戸だそうです。

 

当時に比べたら建物の耐震化や道路、水道管等も地震に対応できるものが多くなってきていますが古くからある家や管理できていない空家、万代塀などは地震を考えると近くに居たくないな、と感じます。

今一度身の回りの安全確認はしておいた方が良さそうですね。

 

 

私、石河かんじは豊橋市に住む皆さん、そして将来豊橋市に生きる若者が笑顔で過ごせる街になることを常に意識して活動しています。

 

2024年の活動テーマは「対話」みなさんとの対話から良い街づくりに繋げようと思います。

 

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