野口晴哉先生の整体
整体を受けに行くと指導室や道場の看板や入口に、
「愉気法」 と書いてあるところを見かけます。
整体を受けると必ずと言ってよいほど、愉気(輸気)という言葉を耳にします。
野口先生の愉気について講座(触手療法講座)の中で冒頭
「今日は愉気の方法について説明します。愉気というのは、気持ちを相手に集中する-それだけの事であります」と述べられています。
野口晴哉先生は最初「アマチュア対象の身だしなみ技術」として触手療法の講座を開きました。今も古い先生方はこのテキストをお持ちです。
これは今よく言われている手当ということが中心の講座でした。本当に端折っていうと、この手当が愉気なのですが、テキストには押えるとか押すという表現がされています。後半には押えるという表現を触れるという表記に変えています。
受講生同士で練習した際ギュウギュウ力を入れて押えるので、受けていて気持ちが悪いという人が多く出た為だそうです。
年数がたち「身だしなみ」の技術では飽き足らぬ人の為、プロ用技術を解説して技術の習得を指導する講座。「整体初等講座」が誕生しました。
後に初等、中等、高等と内容が高度技術の精密さを増す講座が増えていくことになります。難しくついて行けないと破門になり、受講料も高額なものでしたが、この講座によって多くの人に整体を学ぶ道が開かれました。
其の関連から指導者を目指す受講生向けに、コンサルタントの資格を持つ先生方を通じ、いろいろなテキストも販売されました。
全生社の正式な出版物にはない、実際の講義を録音から文字起こしをしたもので野口先生の語り口そのものなので、結構まどろっこしく同じような内容が繰り返せれていたり、臨場感の伝わるものです。
そこで愉気に行きつきます
輸気と行基
手を当ててそこから気を通していくことを「愉気」といい、 自分の身体の一部に気を集めたり通したりすることを「行気」という。
愉気を行なうために行う訓練として、合掌行基がある。
合掌行気法とは、 合掌した手に意識を集め「敏感」な手を作る方法である。
身体には「意識」を集めると「感覚」が高まる性質があり、 手に「注意」を集めて気の出入り、を感じ取る訓練をすることで、気に対して敏感な手をつくることができる。
合掌行基の方法
- 目の前で両手の平を3㎝ぐらいに近づける、目を細め両手の間を見ていると自然と手が引き合い、手が吸いついてきます。そのまま目をつむり合掌する。
2. 呼吸を合わせるため、胸から腹(丹田)に深く息を
吸い込んで、(余った息)をウームという音ととも
に鼻から抜く。 ※注1
3. 目を閉じて、指先から手の平の真ん中に息を吸い込ん
で指先から吐く、手で呼吸するという「つもり」でおこ
なう。吸い込めない人は吸い込んでいるつもりにな
る。あるいは皮膚呼を感じ取るつもりになる。どち
らでも良い。いつもより少しゆっくリ呼吸をし,手から
出入りする
「気」に注意を集める。 ※注2
4. 終えるときは、大きく息を吸い込んで、「ウーム」と
少しの間お腹(丹田)に息をこらえ、吐き出すとき
に目を開けて手を開き終わる。
行う時間は、長ければ良いというものではありません。最初は5分くらいから初めて下さい。本当に集中できるのは数秒から、一分迄出来る人は本当に稀です。何度もやっているうちに集中できる時間も増えてきます。
実際の愉気でも同様ですが、集中力が散漫であれば長時間行っても意味はなく、集中力の続く範囲でおこなうことが大切です。
慣れてくると、自然と集中できる時間が長くなりますが、同時に必要が無くなると自然と終わるようになります。
※注1
合掌行基をする際の呼吸の最初、ウ~ムというのは息を詰めるのではなく、息を抜くためです。胸から吸い込み、肩の力を抜き、腹に下すと息が余るこれを飲み込むと頭やお尻が抜けることがある。これを防ぐためにウ~ムと鼻から不要な分の息を逃がし、血が上ったり、肛門が抜けないようにと触手療法の中で書かれています。
※注2
瞑目して合掌行基をする時、無理に力を入れて頭をからするといったことは必要ありません。合掌行基特に初めは色々な思い、考え、妄想が浮かびます。大切なのは頭に浮かんだ何かを追いかけない事。ただ浮かんだなと思いながら、もう一度手に集中して下さい、慣れてくると思いが起っても雲のように流れていきます。「無念夢想」にとらわれて手の集中をなくさない事。
※注3
整体で無念無想が必要になるのは、愉気の際です。野口先生は愉気をする時雑念を取り除き、ただ相手の身体に集中し、無念無想、天津のい心で行うと教えています。