『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ -31ページ目
「これ、まだ間に合うよ。
でも、今行動しないとまずくなる。
仕事で培った病気なんだから、仕事からもう逃げてもいいんじゃないかなぁ」
 
もう10年前ですね。
こう伝えた友人がいました。
今や国民の2人に1人が罹る と言われている「病気」になった、と相談を受け、
整体操法を引き受けたときの話です。
気が付けば、この友人と同じ年齢には、私は今なっていますね。
 
彼女は雇われ社長でした。
「そうなのよ。 あの会長ったら、私の病院のベッドまで来て言ったのよ。
「なぁ、早く会社に戻ってきてくれ。君がいないと会社が、もたないんだ」って。
さすがに妹が怒ったわ!」
と彼女は言っていた。
 
そんな人は面会謝絶じゃなくて、面会拒絶ですよね、本来ならば。
「会社のせいで病気になりました。
ハンパない病気です。
散々苦しみました。
もう2度と顔も見たくありません。
ただし慰謝料は、振り込んでくださいね!」
と言っても良い位です。
 
 
 
この友人は、若い頃にうつ病をやったと言います。
 
会社に行く気力が極端になくなり、
出なきゃいけない15分前に起きて支度をして、
そのまま会社に行く と言う有様だったそうです。
20代の花盛りの時に、よほど追い込まれたんでしょうね。
 
しかし、そこで、
「私、もっと頑張んなきゃ、存在価値がない!!」
と思い込んでしまったようなのです。
多分もっと前に、20代の時ではなく、10代の時でもなく、
1桁台の時に何か思い込みが起こった、これが大元だとは思うのですが。。。
この思い込みが、20代後半の時に、うつ病にもつながったと思われます。
 
そこから這い上がり、日本では過酷な部類に入る立場に職を得て、
頑張ったと言います。
 
完全に元社長・現会長の放漫経営により、会社が傾いているところを、
従順かつ真面目で実績のある、友人に白羽の矢が立ったと言える状況でした。
会長が傾かせてしまった会社、そして傾かせ続けている会社を支えるべく、
金策に走る日々が多かったといいます。
 
そして、
「もう間に合わない! この船は、沈んでしまう」
という事は、友人自身が強く理解していました。
 
なので、
「吉田さん、私ね、今の会社を辞めたら、会社を立ち上げるよ!
もう事業計画も立ってるし、販路も目がついてるし、
後は私が異動して、稼働するだけなのよ。
すごく楽しみ!」
と目をキラキラさせて言っていたのを、覚えています。
 
そして、「その時また、お勧めのレストランを、紹介してあげるね!」
と言ってくれました。
 
だから私は
「後はもう、逃げるだけで、いいんでしょ?
逃げて、新しい会社立ち上げれば、生活も問題なく、できるんじゃないの?」
と尋ねると「全くその通り!」と言うのです。
「少ないながらも、資産はあるからね」と笑っていました。
 
しかし、友人は付け加えます。
「。。。だけど、みんなを、社員のみんなを、就職先を斡旋しないと」
と彼女は言っていたのです。
 
 
 
悪魔の言葉は、いつも短いのです。
 
「しかし」
「でも」
「だけど」
 
完全に沈む船で、もはや大きく傾いている船に乗っていて、
乗客全員を逃すまで、 友人は奮闘しました。
しかも逃げる気力が薄い、自分の足で立つ気のない乗客を尻を叩いて。
 
「完全に全員退避させてから、自分は逃げる」
このように彼女は決めていたのです。
しかし、そこまでの体力は、もう残ってないと言うのに。
普通の人だってしんどくて、そんな事はなかなかできないと言うのに、
まして、 大病が完治していないのに。
 
「それはもう他の人の仕事だよ。あなたの役割じゃないよ」
と言ったのですが、彼女には聞けない事情があったようなのです。
 
結果、 数ヶ月連絡が途絶え、
次に連絡が来た時は、彼女の葬式のお知らせでした。
 
 
 
あの会社がどうなったかは知りません。
友人の体的には、3人前の力があるような、
まさしく雇われ社長さえできるような人でした。
頭も回り、責任感も強く、 優しくて、おまけに美人でしたね。
 
自分の体力を見誤ったし、
逃げるべき時を、逸してしまったとも言えます。
 
50歳の手前で、逝ってしまうとは。
惜しい人をなくしたと思いました。
友人が活躍する姿を見たかった。
そして何より、
若い頃の思い込みを、「捨てられてよかった」と言って欲しかった。
 
 
 
 
感覚の鋭い人で、2回目の入院から戻ってきた時、
言っていました。
 
「私、病室の窓から、奇妙な光景を見たの。
自分の名前をつけてくれたおじさんで、若い頃は大変お世話になった人。
もう亡くなっているその人が、窓の外に背を向けて立っているの。
しかも、遥か上空まで伸びていく階段の途中で。
 
とても悲しそうな後ろ姿で、泣いているのがわかったわ。
何を泣いているのかも、わかった。
「引き返せるのに、なぜ引き返せないんだ。来るのはまだ早い」
とその背中が言っていた。
私が生きようとしていないことを、嘆いていることがわかったの。
 
私、あの映像、見せられたんだと思った。
私、生きなきゃいけない」
と言うような人でした。
 
「そうだよ、生きてよ。まだやることがあるでしょ?
人生、楽しみ切っていないよね」
と私は言いました。
 
だけど、友人は、あの階段を登ることを選んでしまった。

 

実際、病状一旦は、回復しました。
だけど、戻らなきゃ良いのに、会社に戻ってしまい、
そこで、引き返せないほど体力を消耗したんですよね。
「一度死んだと思って、生きる」と言っていたのに、話が違うじゃないか。
彼女としては、限界の1歩手前で、戻ってくるつもりだったのでしょう。
 
 
 
 
仕事って、中毒性があります。
テレビゲームより、面白いんですよね。

 

プレッシャー もそこそこあるものですが、それがまたスパイスで面白い。

 

私もそれを経験し、体を壊した経験があります(笑)
私の場合は、このまま潰れることは満足できないと思っていたので、
仕事の取り組み方も、人生設計も、大幅に変えました。
結果それが良かったようですが、まだ少し油断すると、
再度そっちの方へ戻りそうなので、今も調節しながら仕事をしています。
 
「私の人生は、この程度か。。。」
と思いましたが、舗装道路も用意されてない、 
あちこちにヘアピンカーブかつ断崖絶壁付きの暗闇の、
整体道という道を突き進みましたからね。
激突&墜落事故の犠牲者は数知れずの道。
通り過ぎた後から、累々と花束が積もっていた姿を目にしたものです。
 
私はラッキーな方だし、 人生は、他人と比較するものではないです。
比較仕様のないものを、比較したってしょうがないですからね。
無いことを恨むのではなく、あることに感謝をし、
できる範囲、許される範囲で進んで行こうと思っています。
 
私も10年前に比べれば、人様と話をできる数や幅が、より多く深くなっているので、
今なら、あの友人をもう少し良い形で手伝うことができたかもしれないなと思います。
 
生き方を柔軟にする。
そして、この柔軟を邪魔する昔の思い出には、しっかり整理をつける。
このことが大切ですね。
今日仕事をしてて、こんな話を思い出しました。
 
 

(感謝)
    
   
セルフ整体道場・新宿天心會   吉田直樹 拝
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(つづき)

 

「鬼滅の刃」のテーマは、

・「許されるだろうか? 許されないかもしれない」 という不安と、

・家族や仲間との絆。

と分析しました。

 

 

え?  ちょっと待ってください!

誰ですか?

 

「許されるとか、許されないとか、じゃないだろ?

そんなもんは、相手が勝手に決めるもん。

自分が、自分を堂々と生きられるかどうかだろ?

自分が決定権のあるものだけに、こだわろうぜ。

こうやって今生きてるって事は、何かの役割があるっていう証拠だからね」

 

「家族や仲間だって、無理に合わせ なくたっていいじゃん。

期待しすぎだよ。 

家族といえども、他人の生き方まで 都合よく縛るなよ。

合う人と、自分が思い描く、家族らしい付き合いや、

仲間らしい付き合いをすれば、いいだけじゃないか」

などと、呼吸器の強い人の言い分を、言うのは!

ブログが台無しになるので、止めてください。

 

きしくも、作中の無惨が言っている言葉でもあります。

 

 

 

 

呼吸器が強い人の意見は脇に置いといて。

 

漫画 のラストでは、主人公たち(柱や炭治郎一派)の転生と、穏やかな日常が描かれて 終了でした。
「鬼」となった者たちの、現代での救済は描かれず、
成仏し切っていない“無惨”のような存在との和解や、慈愛の描写もなかったのです。

 

何か白と黒で分け切ってしまったよですし、

信賞必罰で「悪いものは地獄、良いものだけが生き残る」

こんなストーリーで終わってしまいました。

 

鬼にもうちょっとスポットを、当てて欲しかったですね。

 

鬼たちは、皆、元は人間でした。

激しい慟哭、厳し過ぎて受け入れがたく見えた現実を前に、

この世を儚み、悲しみ、そして、恨み、無惨の仲間つまり鬼 

になることを選んだ人間たちがいたのです。

 

そして物語の設定では、

鬼になったものは、強大な力を持ちつつ、人間らしさが記憶から消し去られ、

目の前にいる人間であれば、それが他人のみならず、

 大事な家族であっても、友人であっても、まして、自分の子供であっても、

少しも顧みず、命を奪い、食らう設定なのです。

 

現実の私たちの社会でも、大きな挫折や混乱から鬼のような心になり、

自分の心にストップをかけられず、大事な家族さえも傷つけてしまう人がいますよね。

私たちの現実社会にも、「鬼」はいると作者は言いたいのでしょう。

 

 
 

しかし、元は人間なのです。

鬼に落ちてしまったのは、 主人公たちとは、

ほんのちょっとしたきっかけ、ほんのちょっとしたタイミングの違いでしかない。

 

無惨に 盲目的に従い、 自らを振り返る余裕もなく、炭治郎たちに倒される瞬間、

「あ、、、。 あの時。もしあの時。あの時に戻れるならば… .」

と言うような回想が多くあります。

 

「違う! 私は鬼なんかに、なりたかったんじゃない!

生き残ることが目的だったんじゃない!

ただあの人と、あの人と笑顔で過ごしたかっただけなんだ」

「あぁ、私は何十年、何百年と、一体何をやっていたのだろう。。。」

と、朽ちて行く姿が、読者の共感を呼んだようなのです。

 

炭治郎含め、柱たちは、人間社会を成立させようと思っているので、

善悪の感覚を持って、鬼たちを裁いて行きます。

まさに 信賞必罰。

 

この中でも炭治郎の姿が、印象的なのです。

「あなたの事情はわかる。。。 だけど、私達も生きていかなければいけないんだ」

こういった哀れみ、共感、慈悲の思いがあるからです。

それが、他のキャラクターたちとは違う特徴なのです。

 

 

なので、本来ならば、ラスト 何話かでは、
ラスボスの無惨が庶民として、 むしろ弱い方の庶民として生まれ変わり、
誰にも恐れられず生きて、かつて鬼だった者たち、柱だった者たちが、

なんでもない日常生活の中で、心を通わせていたりするシーン。

こういうシーンがあっても良かったのではないかと思うのです。



* 「鬼」の側の救い
* 罰ではなく、共鳴と再出発
* 断罪ではなく、和解と赦し
があれば、本当の最後だったような気がします。
テーマが一巡して終わったような気がするのです。



ラスボス無惨自体が、「誰も見てくれない・救ってくれない」
という自己否定と、怒りの混合感情によって、
「見捨てられた」と 思い、鬼になっていきます。

だから、人間たちとは、和解しようとは思っていないのです。

そこを、転生でやり直させて欲しかったですね。

無限地獄のような封印じゃなくてね。

 

 

神仏と言う表現が何回か出てきましたが、

もし本当の神仏がいるならば、

「あぁ、そうなのか、そうなのか。

あなたは今回間違ってしまった、と認識しているんだね。

そしたら、やり直せばいい、何度でも何回でも。

応援しているから、もう一度その通りにやってみてごらんよ」

と言うような気がするのです。

 

機会を変えて、時代を変えて、環境を変えて、何回でも見ている。

直接的な介入はしないが(ほぼしているのですが)、自分の力を出すよう促している。

こういう神仏像を描いても良いのではないでしょうか。

「鬼に落ちたら、はい終わり!」 じゃぁ、面白くないよね。

 

失格者を見てみたいから、神仏がこの世を作ったのでしょうか?

そんな悪趣味じゃないでしょうに(笑)

 

「良いとか悪いとか、正しいとか正しくないとかじゃないんだよ。

 どれだけ楽しんだか。

君は本当に楽しいんだのかい?

どんな状況でも楽しんでごらんよ」

と言ってるように私は思います。

 

 

 

だから、ラスボスの無惨が、力がむしろ弱い一般庶民として転生し、

転生した柱たちや、かつての部下たちに助けられつつ交流をしながら生きていく。 

そして一般庶民としての当たり前の幸せを感じながら、

生きる掛け替えのない日常に、幸せを感じながら生きている。

んなラストシーンが欲しかったですね、 個人的には。

 

「スーパーパワーで、何とかしようとしてもいいけど。

でもね、しなくたっていいんだよ。

君が描いた通りに、近くなるからね。

そして君が求めた幸せとは、どこかにあるんじゃなくて、今そこにあるんだよ。

ただ、目を見開いてごらん」

と言う形になっていたら、個人的には最高です♪

 

 

 

作者さんがどんな人だかは知りませんが、

日本の神道や仏教の考え方を少し入れていたのは間違いがないです。

だったら、もうちょっと入れて、

善悪の二元論 から抜け出て、

こんなラストにしてもよかったんじゃないかなと思います。

 

信賞必罰型のラストは、一般人にはわかりやすいし、お花畑に持っていくのも良いことですが、

ただ、 古い神道、 つまり日本の古い伝統から言うならば、

根底に流れているのは「楽しめ」なのです。

だから、転生した先で、「弱い力でも楽しめる」と言うことを、

強い力の象徴の無惨や、鬼たちが実感していて、

「時代や環境も少し違えば、掛け替えのない家族や、仲間になれるんだよ」

と示していただいたら、こんな面白い事はなかったと思うんです。

 

「鬼になるしかなかった存在たち」への赦しと、
「それでもまた人として生まれ直せる」希望を 描いて欲しかったです。


「鬼になった理由は、その人のせいではない」
「誰もが赦されて、もう一度人生をやり直せる」
「宇宙も、神仏も、人間を見捨てない」
となったラストだったら、格好良くないですか?^^

日本的発想は、格好いいんです。

 

こんな話を妄想した、昨日でした。

 

 

 

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(「鬼滅の刃」の終わり方 完)
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「鬼滅の刃」という漫画が、あります。

私も全巻読みました。 

空前の大ヒット漫画ですからね。

漫画ぐらいは読もうと思っていますので。

 

23巻で終わりなのですが、

この終わり方が、もっと別な話も良かったのかな?と急に思いました。

 

どういうことで今日は、雑談です。

 

 

image

 

 

もう何年も前に読み終えていたのですが、つい気になって、Kindleを叩いてみた。

個人的には、当時は

「結婚と子育てを頑張るんなら、しょうがないよね。作者も人間だものね」

程度しか思っていませんでした。

あれだけの長編漫画を、まとめあげるだけでも大変ですからね。

 

短く終わり方 を紹介すると…、

主人公たち(柱たちと、炭治郎周辺の人たち)が、

鬼のラスボス・無惨の野望を見事阻止し、平和で和やかな後世を過ごした。

さらに、平和な現代に転生した後も、

当時の仲間たちと、争いとは全く無縁な 一般庶民に転生していて、

日々の平和な日常生活を、楽しく仲良く過ごしているシーンをいくつも紹介して、

終わりになります。

 

🎉 ハッピーハッピー 🎉 な終わり方です。

お花畑のような雰囲気。

 

 

 

色々調べてみると「良い終わり方だった」という評価が多いようです。

そこで私は思うわけです、「はて、どうかな?」と(笑)

ひねくれ者ですね。

多分、ほとんどの人が同意してくれない終わり方を、

私は望んでいたと思います。

 

あれの何が残念か? と言うと、

無惨を始めとした鬼たち。

これが出てこないのが、残念なのです!

 

「はからずも落ちてしまった鬼たち。彼等には処罰しかないのか??

チャンスは、もうないのか、赦しは無いのか??

私は、こういう感覚でした。

 

 

と言うのもね、

主人公たち、柱や炭治郎たちは、

たまたま師匠や、同門の人たち、家族に恵まれた人達でした。

 

それで片や、鬼になった人たち、ラスボス無惨も、恵まれない人でした。

主人公たちも、鬼たちも、同じように強い思いを持っていたのですが、

その強い思いの元は、果たした本人だけの責任なのだろうか?

と私は思うんです。

 

もしかすると家族に恵まれている人でも、

一瞬の気の緩みで変なものが入るものです。

つまり、柱達と鬼たちの違いは、ごく僅かかもしれない。

髪の毛1本分の違いもないかもしれない。

そんな微妙なものが、世の中の当然では、なかったかな?

と思うのです。

 

最初から絶対の正義や悪、恵まれすぎている/不幸すぎることもないのです。

なぜなら、それらは、後の解釈によって、

いくらでも180度変わってくるからです。

 

そのわずかな違いによって、生かされているのみです。

私達は。

だからこそ、お互いに慈悲が必要なんです。

この視点が欲しかったと思いました。

ざっくりお伝えすると。

 

 

 

話がわからないと面白くないので、大雑把な分析をします。

「出でよ、ChatGPT!!、💻」
ということで、 chatGPTにまとめさせました。

 

私的には、すぐにどの漫画とリンクするか、分かりました。

ドラゴンボール

ジョジョの奇妙な冒険

スラムダンク

エヴァンゲリオン

です。

どれらも90年代の、名作中の名作ですね。

 

ジョジョ

 呼吸法・血縁の因縁・修行・技の様式美

ドラゴンボール

 修行と成長 → バトル → 仲間

スラムダンク

 戦闘の中での人間ドラマ・目線などの非言語の感情のやり取り・贖罪と裏の歴史

エヴァ 

 心の葛藤・人間存在の不条理・孤独・敵=自己の影・戦いの中にある存在の問い

 

 

さらに、+αされた“日本的エッセンス”
* 神道・仏教・霊的世界観の下地
 → 鬼と人間の因果、生まれ変わり、業、因縁といったアーキタイプは、

 潜在的に日本人の精神文化に深く刺さる構造。
* 和風ビジュアルの徹底
 → 着物、刀、柱の装束など、ビジュアル的にも他作品との差別化を成功させた。


そしてChatGPTはまとめます。
■まとめ:なぜヒットしたか?

『鬼滅の刃』は以下の要素を高密度かつ感情的に整理統合した希少な作品です。

* 王道バトル+感情的ドラマ(少年ジャンプ的)
* 家族愛+贖罪+自己犠牲(ジブリ的感覚に近い)
* 一般層にもわかりやすく、泣ける構成(広い年齢層への共鳴)
* セリフが短く、行動で語る(心理描写より行動描写で心を動かす)


つまり、

「あらゆる名作の骨組み」を持ちながら、「平成〜令和時代の感情構造」に最適化された“感情技術の結晶”。
そう呼んで差し支えないと思います。

 

 

 

さすがChatGPTですね。

そして「鬼滅の刃」に流れるのは、3つのテーマだといいます。

「贖罪」「救済」「家族の再統合への渇望」

 

最近何かこういうテーマのものが流行りですよね。

2005年以降でしょうか?

 


1. 贖罪と自己処罰
多くのキャラクターは自らの過去の罪や無力さ、親子間のミスコミュニケーション、
喪失体験を背負っており、これに報いる形で行動を選びます。
柱たちも、鬼たちも、無惨さえもそうですね。
「生きていて、良いのか?」
「役割を、果たせるのか?」
という自己価値への問いが、 何回も繰り返されます。


2. 救済と他者との再結び直し
鬼たちでさえ、元は「愛されなかった者たち」であり、回想ではその孤独と絶望が描かれる。
炭治郎が最後まで「鬼にも人間性があった」と理解しようとする姿勢は、

加害者と被害者の分断を超えて救いを求める構造です。
→ 見捨てられ不安を持つ者への、最大の処方箋となる構造。


3. 家族の喪失と、再統合への渇望
炭治郎は、鬼によって家族を奪われたことで物語が始ま参りますが、
最終的には、家族以上の仲間たちと濃密な時間を過ごすことにより、
また家族との思い出を探ることにより、
現実で起こった断絶を超えて、彼の中で統合を図った形になっています。


生きることに伴う罪悪感、
絆: 家族との絆、親子の絆、指定の絆兄弟、姉妹の絆、仲間との絆、伴侶との絆
こうしたものも描かれた作品でした。
人間であれば、 いつの時代でも、誰しもが抱える思いを、

総合的に扱った作品でした。

 

だから、どんな世代の人にも引っかかるので、偶然の大ヒットとなったのでしょう。

 

 

 


現代は、
自己処罰傾向、愛着の断絶、家族との分裂を経験してきた人が、多くなっています。
そうした人々が、自分の置かれた状況と、この作品を照らし合わせてみるのだと思います。
 

さて、この上でラストを考えたいのです。

 

 

 

(つづく)

(感謝)

吉田直樹 拝