【後編】
※この記事は、非常にセンシティブな内容を含みます。
前編をお読みでない方は、そちらからお読みいただくことを推奨します。
前編では、性産業は、どの職業よりも「時限爆弾」があること。
そして、その背景にある社会的、歴史的な構造について論じました。
そして最後に、一つの問いを投げかけました。
「なぜ、売春はいけないのか?」と。
私自身が高校生の頃、この問いに全く答えることができませんでした。
当時はブルセラショップが社会を騒がせていましたが、
周囲の大人たちも、マスコミの大人たちも、誰もこの問いに明確な答えを持っていませんでした。
ただ、道徳倫理で「いけない」「だめ絶対」と言っているだけ。
中には理由を言わずに「後で後悔する」との事でした。
確かに家族バレなどで後悔するかもしれませんが、
お金が必要な家族だったら、別に何も思わないかもしれません。
なので、
「お金が必要なら、体を売ってもいいのではないか」
とさえ、10代後半の私も、心のどこかで思っていたのです。
10代までの知識しかありませんからね。
稚拙な危険な結論になっても仕方のないことです。
成人し、様々な人生経験を積み、多くの人々と対話する中で、
私は今、この問いに多様な角度から答えを提示することができます。
「何言ってるの? かなり危険なことを、あなたはやろうとしてるんだよ。
あの世界の実態を知っても、そこから無事に帰ってこれる自信と、根拠はあるの?」
と言えます。
そして昔を後悔している方に対しては、当事者の覚悟と本気次第ですが、
有効な方法の1つを示すことは、できます。
(もちろん、絶対有効な方法なんて知りません)
多くの人は「なぜ売春がいけないのか」
を自分の言葉で、データを伴い、論理的に説明することはできません。
この理由は、主に以下の3つに集約されます。
1、社会が「考えさせない構造」になっている
日本の学校教育や多くの家庭では、
性に関するテーマは「触れてはいけないタブー」として扱われます。
そのため、私たちは「ダメなものは、ダメ」という思考停止の刷り込みをされるだけで、
その理由を深く考える機会を与えられません。
2、自ら問いを持たなければ、構造は見抜けない
自分自身が当事者として深く悩んだり、他人の壮絶な人生に真摯に触れたりする経験がなければ、
この問題に対する実感は伴いません。
実感を伴わない思考は、どこまでいっても他人事で終わってしまいます。
3、「他人の痛み」を知る機会がないまま生きる人が多い
多くの人は、この問題を
「自分とは関係ない異世界の話」
「汚れた一部の人たちの問題」
として、無意識に切り離しています。
「もし、被害に遭ったのが自分の娘だったら?」
「大切なパートナーだったら? 」
そこまで想像力を働かせられる人は、残念ながらごく少数です。
つまり、「なぜだろう?」という問いを持ち続け、
多様な人々と関わり、物事の構造を観察し、実体験と共感を通して思索を深めてきた人間というのは、
社会の中では極めて少数派なのです。
この3つのどれかもしくは、混合した理由で、多くの大人たちは答えられないのです。
被害と加害の連鎖 ― 悲劇と抜け出せる場合
倫理道徳で伝統的に言われていることと言うのは、
実は膨大なデータがあったりします。
もちろん、データなしで、単なる偏見や、言い伝え迷信もありますが。
でも、性に関するこの倫理道徳は、
人類の知恵、経験値、膨大なデータがあるのです。
この問題の闇は、当事者が心を病むというだけでは終わりません。
さらに深刻なのは、被害が加害へと連鎖していくという悲劇的な側面です。
早すぎる性体験、特にそれが搾取や虐待という形であった場合、
その影響は計り知れません。
衝撃的な統計データがあります。
「児童への性加害者のうち30〜60%が、
自身も子供時代に性的虐待の被害経験者である」と言うデータです。
特に男性にその傾向が強いのです。
つまり、性的な被害者とされる人たちは、次の世代にも持ち込むのです。
次の世代にも埋め込んでしまうのです。
負の連鎖があるのです。
これは、決して「加害者を許せ」という意味ではありません。
「被害者の心のケアを怠れば、その痛みは新たな加害を生み、悲劇は連鎖していく」
という社会への強烈な警鐘です。
では、この深い傷を負った人々が、
いわゆる「まともな人生」を取り戻すことは、何もしないでも可能なのでしょうか?
「辛い事は、忘ればいい」は有効なのでしょうか?
ここでも、統計を見てください。
統計上、児童期までに性的虐待(CSA)を受けた被害者が、
中年期以降に社会的に安定した生活を送れている割合は、決して高くありません。
女性:約30〜40%前後
男性:約20〜30%前後
特に男性被害者の方が、その経験を抑圧し、
他者への暴力として転化させやすい傾向が指摘されています。
残りの人々は、うつ病や依存症などの精神疾患を抱えたり、
安定した人間関係を築けなかったり、
最悪の場合、社会から孤立していきます。
20歳前後で自らの意志で、性産業に関わった人の場合、
50%以上の人が中年以降でうつ病を発症しているデータもありました。
商売として自ら関わる場合は、男性よりも女性の方がダメージを受けます。
ここには明確な性差があります。
数々の性的な経験をすることになりますが、
男性の場合はそれに誇りを感じたりするので、ダメージにつながりにくいのです。
しかし、女性の場合、「愛されなかった経験」としてカウントしてしまうので、
ダメージそのものになりやすいのです。
調査された範囲でこれですから、
実際はもっと多いと言えます。
他に例を見ない、とんでもない危険職種といえます。
つまり、
性的に乱れると、精神的・肉体的暴力が、
自分に向かうか、他人に向かうかの違いだけであって、
暴力と縁が切れない人間になってしまうと言うことなのです。
本来の人生ではなくなります。
性の感覚が乱れると、恐ろしいと言うことです。
しかし、絶望的な数字の中にも、希望はあります。
回復に強く寄与する因子が、研究によって明らかになっているのです。
初期に支援があった場合
幼少期や青年期に、家族以外の大人(教師、カウンセラーなど)から
適切な介入や支援を受けられた場合、回復率は格段に高まります。
語る機会が確保されていた場合
誰にも話せなかった被害体験を、
「安全だと感じられる場所で、信頼できる相手に語れた」という経験は、
トラウマの処理を大きく前進させます。
自己主体性を保持している人の場合
もともと知的・内省的な能力が高く、自ら本を読んだり学んだりして、
自分の身に起きたことを客観的に分析し、意味を再構築できる人は、回復の可能性が高いです。
パートナー関係がある場合
自分を心から理解し、支えてくれるパートナーの存在は、回復において決定的な役割を果たします。
傷つけられた人間関係の中で、再び他者を信頼する場を取り戻せるからです。
人間はどんな大変な立場に置かれても、
救済の道はある! と言うことですね。
「忘れる」ことの危険性 ― 脳に刻まれたトラウマの罠
ここで、非常に重要な問題に触れなければなりません。
それは「忘却」という名の、偽りの解決策です。
ブルセラショップや、売春高校生がインタビューで言っていたことがあります。
「え、私、そんなの関係ないし。
だって、忘れちゃうもーん。キャハハ」
と。
「完全に忘れてしまうのだったら、いいかな?」
と当時私も思ってしまいました。
しかし、これは20歳位までの感覚なのです。
20代後半から、こうは行きません。
30代、40代、50代となってくると、
記憶が戻ってくるだけでなく、
「雑に扱われ愛されなかった記憶」
「今後の愛に見合わない、汚れた存在」
などと言う形で、反芻されるようになってしまうのです。
恐ろしい話です。
ひたすら駄々下がりに自己評価が下がっていくのです。
しかも、多くの人が、誰にも言えないのです。
こうなると、命の危険水位まで、下がって行くこともあります。
トラウマを負った人に対し、周囲は善意から
「辛いことは忘れて、前を向きなよ」
とアドバイスしがちです。
私自身も、(もちろん売買春ではなく別件ですが)何度もそう勧められてきました。
しかし、これは間違いですし、無理です。
忘却による「解決」は、解決ではありません。
それは、前編で述べた「時限爆弾」を、ただ見えない場所に隠しているだけなのです。
時限爆弾を封印したつもりで、土の中に埋め立って、
その上に住む家があれば、いつか爆発してしまいますし、巻き込まれてしまいます。
なぜ忘却は危険なのでしょうか?
人間の脳の仕組みから説明できます。
辛い出来事の「情報」そのものは、記憶を司る「海馬」の働きによって忘れることができるかもしれません。
しかし、その時に感じた恐怖や絶望といった「感情」は、
情動の記憶装置である「扁桃体」に、生々しいまま刻み込まれています。
意識の上では忘れたつもりでも、体と心は覚えています。
感謝にならない限りは、扁桃体から抜け出せないのです。
そしてそれは、ある日突然フラッシュバックとして蘇ったり、
原因不明の身体症状として現れたり、
対人関係における奇妙な反応(過剰な回避や攻撃性など)として、
無意識のうちに何度も「再演」され続けるのです。
何か激しいストレスがかかったことをきっかけとして出る場合もあれば、
きっかけらしいものがなくて、いきなり出る場合もあります。
人間は、忘れられないのです。
若さに任せて一時期忘れても、蘇るものなのです。
ここから回復するには、何が必要なのか?
心理学的に言えば「統合」が必要なのです。
統合とは、簡単に言えば、自分自身を認められるということです。
「忘れた〜🤪」 などと言って、
自分の1部を切り離さないで済むようにすることなのです。
統合することなのです。
切り離しばかりしていると、統合失調症、いわゆる分裂症といった精神障害になったりするのです。
真の統合、真の回復とは、「記憶」と「感情」と「意味づけ」が一つに結びつくプロセスです。
忘却は、これらをバラバラに切り離す(解離させる)行為に他なりません。
結果として、自己が内部で分裂し、
「あんなことはなかった😂」
と口では言いながら、
その行動は破綻している、という矛盾した状態を生み出してしまうのです。
この辺は、映画エヴァンゲリオンの主人公たちの行動と似ています。
あの主人公たちの言動は、精神薬常用者の言動そのものと言っても良いレベルです。
この「忘却癖」とも言える態度は、
多くの場合、幼少期の親子関係の問題、すなわち「愛着障害」に起因していることが多いです。
特に「回避型愛着スタイル」の産物であると私は考えています。
親との安定した愛着を経験できなかったと認識判断した人は、
辛い感情に蓋をし、関係性そのものを記憶ごと削除するという心のクセを身につけてしまうのです。
それは一時的な自己防衛にはなりますが、
魂の深層では、慢性的な空虚感や疎外感を静かに蓄積させていきます。
(事実は認める必要がありますが、被害者になりきってはいけないのです)
真の解決へ ― 「解析」と「感謝」による魂の錬金術
では、どうすれば、この魂の時限爆弾を解除し、
真の回復に至ることができるのでしょうか。
私がたどり着いた答えは、「解析」と「感謝」です。
一言で言えば、ディマティーニ・メソッドです。
段階を追って、精神分析学的に説明します。
1. 解析(構造分析)
これは、自分の身に起きた出来事を、感情的にただ思い出すのではなく、
客観的に、超俯瞰的に分析するプロセスです。
「なぜ、あの時ああなったのか」
「あの人の行動の裏には、何があったのか」
「社会のどのような構造が、この悲劇を生んだのか」
このように、記憶の因果関係や感情の連鎖を、徹底的に理解することです。
これは、心理学で言う「記憶の再物語化(re-authoring)」にあたります。
自分の人生の物語を、単なる被害者としてではなく、
困難を乗り越える主人公として、主体的に書き換えていく作業です。
2. 感謝(共感的統合)
解析が進むと、これまで憎んでいた相手の中にも、
その人なりの苦しみや未熟さがあったことが見えてきます。
また、そんな絶望的な状況下でも、僅かながら自分を支えてくれた人の存在や、
自分自身の生命力に気づくことができます。
過去の全ての経験が、今の自分を形作るために必要だったのだと受け入れ、
その経験と、関わった人々の苦しみをも承認する。
この境地が「感謝」です。
これは、苦痛を力へと転換させる「魂の錬金術」とも言えるプロセスです。
ディマティーニメソッドならではの到達点です。
忘却は、自己の一部を切り捨て、見ないふりをすることです。
統合は、自己のあらゆる断片を、たとえそれがどれだけ醜く、痛みに満ちていたとしても、
一つ一つ丁寧に見つめ、感情を通し、最終的に意味へと変えていくことです。
これこそが精神医学や哲学、あるいは宗教が、最終的に目指す最も深いレベルの癒やしであり、
人間的成長の王道なのだと、私は確信しています。
この記事が、今まさに暗闇の中で苦しんでいる誰かの、小さな光となることを心から願っています。
そして、ご家族の皆様で、良い夏をお過ごしください。
(感謝)
吉田直樹 拝