死を感じて、生きる 上 | 『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ

気候的には、今が1番寒い時期に入ってきましたが、

体的には、春の体に入っている人が、半数を超えるようになりました。

私の体もしっかり春で、春の体操から1日が始まりました。

 

 

 

春。

多くの人は明るいイメージを描きます。

 

しかし、春は骨盤が不安定になる時期です。

なので、花粉症を始め、鬱々とする人や、

ハッピーハッピーすぎる頭、

になる人がいます。

 

骨盤が不安定になるので、舞い上がりすぎたり、沈みすぎたり、

精神にくるするパターンがあるわけです。

 

骨盤が不安定になることにより、呼吸器・肋骨が異常を起こします。

元気な体だと、何も精神には及ぼさないのですが、

もともと故障を抱えていたり、古傷があると、

精神に、あまり嬉しくない一過性のものを出すことがあります。

 

 

 

この場合、

身体的アプローチは必要です。

 

その上で、心が偏ることになった出来事に対して、

心をニュートラルに戻す必要があります。

 

春は、

春の体操と、DMをする時期。

と私自身は心得ています。

 

今年はなぜか、

DMの申し込みが多いですね。

オンラインでするようになったからか、コロナ劇場も終わったので、増えたようです。

みんな、動き出し始めましたからね。

 

DMは、自分の人生を本当の意味で、抱きしめることができるようになれるので、

どんな人にもお勧めができます。

 

 

 

 

40歳を過ぎると、世間知恵が着いてきます。

 

同年代達の成長の結果や、強そうだった先輩達の変化も分かるし、

日本や人類がたどってきた歴史の知識も、圧倒的に増えるからです。

もちろん、自分自身や家族の変化成長も、解るからです。

 

同時に、

「なぜ自分が今、この状態にいるのか? あるのか?」

ということにも、

年々より実感のある答えが、出せてきているからです。

 

 

 

表題は「死を感じて、生きる」です。

 

結論を言えば、

どんな人間も、死を感じて、生きた方が良いと思いますよ。

 

人間の寿命は、大体80代。

我が身を振り返らず働けるのは、どんなに長くても50代までです。

50代以降は、自分の体をしっかりケアしながら生きていかないと、

病院と仲良くなりすぎることが、多いです。

病院と仲良くなりすぎて、寝泊まりする関係になる方がいらっしゃいますが、

心も体も快活であれば良いのですけれども、そうも行かないですからね。

 

10代の頃は「付き合う友達を選びなさい」と言われますが、

50代に入っても、付き合う、仲良くなるべき友達は選んだ方が良いのです。

10代でも、50代でも、自分1人の心がけ1つですね。

 

 

 

私達が、永遠の生命を持っていたら。

どんな生き方になるでしょうか?

80代で亡くなるのではなく、800年、8000年、8万年と生きられるとしたら。

80億年でも、いいですけれど。

 

億単位のものは、鉱石岩石、惑星などとなります。

彼らは、基本的には動かないですね。

とてもじゃないけど、動いてるようには思えない。

 

もし私たちが、時間制限がなくなったら、

動く必要を感じなくなりますし、動かなくなりますし、

動かなくても良いような体と心になっている可能性が、高いです。

結果的に、一生に対する考え方は、あまり変わらないかもしれません。

 

例えば、図書館で本を借りるときに、返却期限が全くなかったら、

読む人が少なくなるのと、同じ理屈です。

期限が限られるから、充実するし、密になるのです。

期限が区切られないと、空虚になるし、形結果もあやふやになるのです。

人間の生命も、同じです。

 

 

「自分もいずれ死ぬ存在だ」

「それまでの間、どう生きたいのか?」

と言う設定がなされると、

人間は生きる意味を考えますし、

全力でそれまでの間、生き切ろうとします。

 

これは多くの人の場合、

友人の死や、親や肉親の死を通じて、感じるものです。

場合によっては、癌の告知だとかですね。

 

生命の有限性を感じたときに、生命の充実を図ろうとするのが、

人間の本性なのです。

だから、生命の有限性を感じない人は現代に多いですが、

その生きるということが、非常に映るになってきます。

場当たり的であり、刹那的であり、

「そんなことやって、何になるの?」

と言う生き方をする人が多いです。

 

ものが溢れ、食べることも困らずに、生命の安全も保障させれる。

これが現代の日本ですが、日本の子供たちの目と、

明日も知れぬ発展途上国の子供たちの目。

 

比べてみると、生き生きとしているのは、後者の子供たちの目なのです。

これも、生命の有限性を、ひしひしと感じるから、起こることなのです。

 

「自分の命も、家族の命も、危うくなるものだ。

そしたら、今どういう生き方をすべきなのか、私はしたいのか。

優先順位をつけて、そのために生きよう」

とするものなのです。

 

「自分が何のために生きたら、1番自分は納得するのか。

この命は、何のためだったら、価値あるものと感じられるのか?」

 

これを抱いて日々生きる人と、抱かずに日々生きる人では、

出す結果も変わってきますし、人付き合いも変わりますし、

考える内容も、全く変わってきます。

 

私達は何をしようか姉妹が、タイムリミットはやってくるものなのですが、

そのタイムリミットが、ひしひしと近づいてきたときに、

「あぁ。俺は本当にやりたいと思ったことを、やり尽くした。

未練はまだあるけど、後悔は無いね」

と思える生き方になりやすいのです。

タイムリミットに余裕がある時から、タイムリミットを感じている人は。

 

なので、

「死を感じて生きる」

ということは、

「人生を充実するためには、必要不可欠な態度」

なのです。

 

 

 

(つづく)
(感謝)
    
   
セルフ整体道場・新宿天心會   吉田直樹 拝
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